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2005年 10月 13日

体験学習。

今もあるのでしょうか。

体験学習:実際に体験することにより職業について学ぶ課外授業の一種

僕が中学生の頃は、と言ってもすでに一昔前の話ですが、毎年夏に何かしらの職業を体験するという授業がありました。あるいは山形県の一部でしか行われていない課外授業なのかも知れません。僕の中学校では、1年生は親の職場に、2年生は農業体験、3年生は商業体験と決められていました。僕の場合は、父は消防士なので1年次はポンプ車での水撒きとその水圧を、2年次は椎茸農家で床作り、3年次は近所のスーパーの鮮魚コーナーを体験したのを憶えています。体験することが学ぶことなのだ、多分これがこの課外授業の目的だったのではないでしょうか。百聞は一見にしかず。千聞は一行にしかず。やってみることが大事なのです。


今日は、本格化する暖房機器商戦を前に、電気カーペットの出荷作業のアルバイトをしてきました。商品名、その名もずばり『電磁波99%カット』。おかしな名前です。疲れて頭が正常に働かなくなると、「電磁波99%マット」に見えてしまうからおかしいです。身体に良いのやら悪いやら。僕が希望したということもありなかなかの肉体労働でしたが、同様の倉庫内作業という点では前回の洋服の出荷作業の現場に較べ、格段に労働環境が良かったです。清潔で広く確保された作業場、効率化のための最低限の装置、集中力を維持するのに十分な休憩時間と休憩スペース、信頼できる作業工程、きちんと段取りのできる社員、彼らを信頼している上役、自己管理できる中間管理職、すべての面において前回の××物流とは違っています。ほったらかしにされていた分、前回のほうが仕事は楽でしたが、仮に短期バイトであろうとも、派遣されたい、仕事していたいのは今日の○○商事です。

とは言ったものの、前回にしろ今回にしろ、一を全とみなしたときのその一分一厘の創造力さえ立ち入る隙のない流れ作業の職場には魅力を感じないこともわかりました。続けることはできます、僕は見かけより思いのほか我慢強いのです。ただ、一厘一毛の楽しさも見出せなかったのが事実です。初めて携わる仕事にどきどきするという好奇心はそれ自体、維持できるものではないし維持するものでもないのです。一毛一糸にも満たないまさに雀の涙という様相を呈しているわがpovera immaginazioneではありますが、なにかしらん、それをわずかなりとも生かせる職場、あるいは生涯を追い求めたいものです。

体験することとが学ぶことであるなら、今のド短期派遣日雇いアルバイト生活ほど勉強になる日々はないように思われます。すぐにそれを生かそうとか、従事する「甲斐」みたいなモノは今は求めません。ド素人が何処へ行ってもそれなりにお金を頂けるのですから。ただ、いつかしらん、ふとこの日々のことを思い出して、そして何か思うことがあればそれでいいのだ、ということを学んでおります。

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追記:あまりにも退屈なので、午前中はずっと山崎まさよしの『パンを焼く』のような歌を口ずさんでいました。「パンを焼く」とか「芋を掘る」とか「米を研ぐ」とか「蕎麦を打つ」とか「豆を炒る」といった実際に歌詞にあるものばかりではなく、「海に出る」とか「筆を持つ」とか「ロバに乗る」とか「歌を詠む」とか「島を買う」とか「山羊を喰う」とか「髪を剃る」とか「耳を掻く」とか「夢を見る」とか「四股を踏む」とか「膿を出す」とか、素敵なもの、馬鹿馬鹿しいもの、真剣なもの、無意味なもの、そういったのんすべてに本来の歌詞にあるように「君のために」をくっつけていると、とっても楽しいですよ。午後はさすがにしんどくなって歌うのもやめちゃいましたけどね。日本語の名詞と動詞には2音のものが多く、まだ助詞には1音が多い、然るにその組み合わせは5音と7音が多くなる、これが俳句と短歌の発生の起源である、みたいな事を井上ひさし始め、色々な人が言ってます。先の言葉遊びを続けてると非常に納得がいきますよ。

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追記2:そのバイトの帰り道、とある閉店間際のシュークリーム屋の、赤い唇の女の子店員さんが、もぐもぐ何か食べてました。8mmがあれば間違いなくフィルムに定着させたい、と思いました、こころから。
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by kantacantalavita | 2005-10-13 22:35 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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