KANTA CANTA LA VITA

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2006年 03月 17日

饒舌さについて

イタリア語の勉強を始めてからすでに9年が経つにもかかわらず、相変わらず饒舌にはしゃべれない『KANTA CANTA LA VITA』です。

イタリア語に触れ始めて9年が経つという意味であって、9年間ずっと勉強していたという意味ではありませんが、それでも9年は長く、それに輪を掛けて僕のイタリア語能力の低さは甚だしいです。困ったものです。まあ自己弁護をすれば、一般的に言って日本語でも要領を得た話し方のできない人間はイタリア語でも饒舌たり得るわけもなく、増してこの9年のうちの最初の4年間(通常の学部期間)を考える時、イタリア語の勉強という領域における僕という存在は、限りなく「勉強していない」の近似値であるわけで、そうしたいろんな状況からできあがったのが今の僕なのですけれども。

「家探し」という社会に向けられた窓を通じて、少しずつ、本当に少しずつですがいわゆる「世の中」に触れ始めまして、停滞気味だった留学生活が再び動きを取り戻し(イタリアに着いた直後は動かざるを得なかったのです)、凪いだボローニャでの暮らしに良い意味でまた例の波が戻ってきました。あれ、これはほとんど同語反復ですね。同じ内容を違う言葉で言い換えているだけです。トートロジー的という奴ですか、つい先日知ったあの。まあ、大事なことは繰り返すことに意義がある、否、多分少なくとも無意味ではない、そう考えて良しとしましょう。そんなわけで、何か知らん、人としゃべる機会が増えてきまして、新居の物件を見るためには住人に電話して約束を取り付けなければならなかったり、この電話という奴がまた厄介なのですが、あるいはネット場に行ってもプリント・アウトひとつとってもやり方がわからなかったり、日本語で文章を書くにはどうするのだとか、細々とイタリア語、ちゃんと通じるイタリア語を話すこととちゃんとしたイタリア語をちゃんと理解することが求められるわけです。

それとは別に、今日は図書館でシチリア出身の25歳女性に声を掛けられ、なにやら僕らは同じ授業に出ているとかで、参考文献のことで聞きたいことがあるとかで、そんなことはイタリア人である彼女らのほうがよく知っているだろうとは思いつつ、ちょうどコーヒーでも飲みたくなったところだから一緒にどうかとかで、僕は図書館に着いたばかりであるにもかかわらず、その女の子と喫茶する羽目になりました。

さて、こうなるとつらいですね。参考文献の話はコーヒーが自動販売機から出てくる前に終わってしまい、自己紹介なんかすぐ済みますし、何を話せというのですか。映画の勉強しているのは分りきったことですし、お互いの研究のことなどテーマくらい言えばそれ以上のことはお互いそれぞれが手探りなわけですし、というか彼女のことはよく分りませんが少なくとも僕は今の自分の研究を日本語でだって説明できやしませんし、そうなるとどうしてもそっちの方向に話題を持っていく訳にはいきませんし、結局、「友達は出来た?」「いや、それほどでもないね。」「じゃあ、紹介してあげるわ。」「わあ、ありがとう、はっきり言ってすごくうれしいよ。」とか、「イタリア語上手ね。」「いやいやご冗談を。」「いえいえ本当よ。」「それはそれはどうもありがとう。」とか、「シチリア出身かあ、4年前に行ったことあるよ。」「私はラグーザ出身なの。」「ラグーザは行ってないなあ。」とかそういった話でお茶を濁すしかありません。非常に微妙な雰囲気になること必至です。一度も盛り上がらないまま、じゃあ勉強しようか、ということになり、図書館に戻りました。次に会った時、果たして彼女は僕に話しかけてくれるかは非常に怪しいです。今のところ僕のほうから彼女に言えることは“Ciao!!”くらいしか見当たりませんが、まあ、彼女Simonaは目に力のある、綺麗な娘だったので話さなくても十分ですけどね。

自由にイタリア語を操るだけでなく、それを駆使して面白い話が出来たらどんなに素敵か知らん。まあ、それは高望みというヤツであるわけで、さらに実はそれほど人と話したい願望があるわけでもなく、そういう意味では理想の低い僕はしこしこと独り、cinetecaに通う日々を送るに至るわけです。

いやいや、ちょっと待て。少なくともこのブログ上ではもう少し目標を高く掲げないと、どこからどんな批判が起こるかもわかりません。来年の夏帰国して、恥ずかしいイタリア語しゃべっていたらカッコウ悪いですしね。もう少し頑張るということはここに暮らす責務であり、読む・書く・話す・聴く、全ての面でのレベルアップの必要を感じているのは間違いないわけですから。

今日も最後に愚妹の言に触れますが、どうやら彼女の言い分は間接的ではあるにせよ『KANTA CANTA LA VITA』というブログにはスマートな文章がない、ということらしいです。血を分けた間柄でありながら、中々言う奴です。おいおい、俺にだってスマートな文章の一つや二つ、三つや四つ、フンフンフと書けるのだぞ。





嘘です。書けません。上の文章自体がすでにスマートではありません。僕の記す文章のひとつの特徴がスマートさの欠如ですね。書く文章、書く文章全てがそうであり、書いている本人が自覚しているのだから間違いありません。そしてさらに、なによりもまず深刻なのは「中身」の欠如です。何が言いたいのか判らん、ただ言葉を愚弄している、あるいは言葉に弄ばれている、そこが問題です。困ったものです。では。
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by kantacantalavita | 2006-03-17 22:31 | 親愛なる日記 | Comments(1)
Commented by laura-charles at 2006-03-23 23:36
あら。尊敬していますのよ、わたくしは。


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