KANTA CANTA LA VITA

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2006年 04月 16日

名前なまえナマエ。君の君のなーまえ。聞いてみてびっくり。さあ、どうぞ。(前編)

盟友ポンデ雅夫(ポンデ・マカーオ)がそのHPで、『アイデンティティ・クライシス』という名前についての面白い文章を書いていました。名前。僕という人間の一番明確な記号。こいつを間違えられると、確かに存在自体が危うくなります。「ポンデ・マカーオ」に至っては、それがいったい何なのかさえ判りません。

幸か不幸か、いや今のところ不幸な目には遭ってませんが、僕の名前「KANTA(イタリアでは少なからずCANTAになります)」はイタリア人にとっては覚えやすい名前であることはいつかどこかで書いたと思いますが、簡単に言えばイタリア語の「歌う」という動詞"cantare"の命令形が"Canta!!(歌え!!)"だという理由からだと思うのですが、覚えにくいが故によく間違えられるポンデ雅夫と違う僕にとっての一番の問題は、名前を読んでくれるほどの友達がいない、ということです。名前を呼んでくれる知り合いがいないのですから間違えられることもありません。

いえ、正確には名前を呼んでくれるほどの友人がいなかったんです。ところが最近は、家探しに始まった社会との接触が象徴的に示しているように、何かと人間に触れる機会が増えてきまして、こんなことを言うと山篭りでもしていたかのような印象を与えてしまいそうですが、少しずつ本当に少しずつですが友達ができてきまして、事情が変わってきました。

先日、と言ってももう1ヶ月ほど前ですが、例のCD借りまくり図書館Sala Borsaの前をうろついていたら前から見覚えのある女性が歩いてきます、しかも心持ち笑顔です。cinetecaのモギリのお姉さんで、近づくにつれ確実に僕に向かって微笑んでいるのがはっきりと感じられます。そりゃあそうですよね。ほとんど毎日通っている映画館のモギリのお姉さんなのですから、いくらシフト制(モギリのお姉さんは3人いるのです)とは言え、週に3日以上は顔を合わせています。街ですれ違えば微笑みかけたり挨拶くらいはします。

"Ciao!!"(言葉が流暢でない分、挨拶と「ありがとう」はいつも元気な僕です。)

"Ciao, Canta."(cinetecaでチケットを切るときもその接客は控え目な彼女です。)

まさか逢っていきなり「歌え。」はないですよね、ということは彼女は僕の名前を呼んでくれたのです。・・・。挨拶の後に続く会話をあれこれ考えていたはずなのに、一瞬思考がストップします。彼女は僕の名前を知らないはずだったからです。如何に毎日のように顔を合わせているからと言って、チケットを切ってもらう数秒ではなかなか名前は聞きにくいものです。僕はそういうちょっとしたことをスマートにこなせるタイプではないのです。まして初めて会ってからすでに4ヶ月が過ぎ、自己紹介のチャンスは完全に逸しています。まあ、いつかまたそういう機会もあるだろう、そういうくらいにほとんど諦めてさえいたのですが、その機会が突然にやってきたのです。

この日はその挨拶だけでしたが(例によってスマートではない)、次にcinetecaで会ったときに改めて自己紹介をし、なぜ僕の名前を知っていたのかを聞くことが出来ました。彼女はVania(ヴァーニャ)、彼女の同僚、別のモギリのお姉さんClaudia(クラウディア)と僕の話題になったことがあってその時に知ったとのことでした。確かにClaudiaとは名前の交換はしました。僕について何を話すことがあるのかは知りませんが、これを機会に最後に残るもう一人のお姉さんの名前Michela(ミケーラ)を聞き出すのにも成功し、名前を呼び合うようになった今では、3人ともそれぞれの接し方ですごく良くしてくれます。

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e0017332_4255334.jpgNow playing:
"blue monk",
by Art Blakey's Jazz Messengers With Thelonious Monk,
アルバム『Art Blakey's Jazz Messengers With Thelonious Monk』より

マグの世話をする報酬は、ネットし放題というこの環境です。ありがとうマグ!!
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by kantacantalavita | 2006-04-16 04:12 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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