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2006年 09月 23日

ルッツァーラ Luzzara (その2)

うすうす予感していたとは言えあまりの何もなさ加減に、やや閉口したというのがKのルッツァーラに対する実感である。その実感は、投げ出されるようにしてバスの停留所に降り立った時から、墓参りを済ませ、一通り町を歩き、再びそのバス停に戻ってきた後でも変わることはなかった。



スッツァーラで彼の鼻喉にこびりついたのか、あるいはルッツァーラにも厳然とそれが漂っているのかは、その時の彼には判らず仕舞いではあったが、少なくともただ一人バスを降りた時、例の豚の匂いは相変わらず彼を淀んだ空気のように包み込んでいた。

インターネットが広く普及したこの時代にあっては、ザヴァッティーニの墓を訪れた者のレポートをイタリアの外に居ながらにして読むことさえ容易ではあるが、その報告が10年以上前に書かれたものであるという事実は、墓を訪れる者が存在するということ以上に、10年以上その墓地に参る者が、少なくとも報告書を綴るような種類の訪問者は存在しなかったということを如実に伝える。しかしその時の彼は、間違いなくルッツァーラにいて、しかも彼はどちらかと言えばレポートを書くタイプの墓参者である。すなわちこれらのことはKを悲しませもし、同時に言い知れぬ喜び、あるいは身の引き締まるような使命感で満たした。

「ザヴァッティーニについて語れる日本人は俺しかいない。」

電脳世界から仕入れた情報とそこから発生した憶測が、いざルッツァーラに降り立つことによって補完されたように思われ、Kの頬はいやらしく歪んだ。

ともあれ彼に許された時間は限られている。Kは足早にルッツァーラの市民墓地へと向かった。ところが彼には比喩的にも現実的にも花がない。彼はその現実に愕然とし、ただでさえ不案内な町で行き着く先も怪しくなり、一人途方に暮れることになる。

(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-09-23 04:45 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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