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2006年 09月 26日

ルッツァーラ Luzzara (その3)

小さな町の数少ない花屋が定休日だったり臨時休業だったりで供えるべき花が手に入らず不案内な町の中で幾分慌てたとは言え、「墓参り=献花」という図式は本来的に僕の頭にあったものではなかった。このことを思い出した時、僕のすべきことはただひとつ、ザヴァッティーニが眠る墓に辿り着きさえすれば良かったのだ。



「偉大な映画人の墓参りをする、それならば花の一本でも捧げようか。」という献花に対する安易な捉え方が、その安易さゆえに形式化も容易で、今さっき僕自身が書いたように「図式」としてのみ、いつの間にか僕の頭の中に存在するようになっていた。アジア人が珍しいのであろう、この町の人々の視線は露骨に注がれる。無遠慮な直視にさらされて、その図式はほとんど強迫観念的に心細い僕を支配する。

おいおい、待ってよ。図式?形式化?強迫観念?違うはずだぜ。俺はここに、104年前のこの日、将来の映画人が生まれたこの町に、「やあ、来たよ。元気かい?」なんて言うくらいなつもりでやって来たんだろう。それから彼が愛したという町を見て周り、よし論文頑張ろう、永遠に眠っている彼にそう約束して帰るはずだったんだ。ああ、この一連の流れさえも形式だと言うならそれは仕方がない。むしろ望んだくらいだ。俺にとってこれは儀式だ。何度かつけねばならないであろうけじめのひとつだ。それがなんだ、この体たらく。「墓参り=花」なんて言うつまらない形式に拘泥したりして。男よ、タフガイたれ。

(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-09-26 04:50 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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