KANTA CANTA LA VITA

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2006年 10月 21日

今日は雨です。

先日片側一車線の道路をのんきに自転車で走っていたら、横列駐車(二重駐車?)を追い越しにかかった対向車線のバスにクラクションを鳴らされました、全く非はありません『KANTA CANTA LA VITA』です。こちら側に凹みがなければ完全に轢かれてます。

しばらく「ポルデノーネ無声映画祭点描」という記事に係りっきりになっていて、しかもまだまだ終わりそうにないこともわかっていますので、ちょっとここで一息。

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先日から我が家に暖房が入りました。雨が降って気温が下がって暖房が入って僕は部屋に閉じこもる、ボローニャの秋(と春)は短いのです。

昨日大学の登録が完了し、今年もボローニャ大学の学生として暮らしていけそうです。それに伴い、現在の滞在許可証が今月末までということもあってその更新手続きも始めまして、それも同様に昨日、予約を取り付けることができました。

このような出来事は結果だけを文章で書くとずいぶんスムーズに進んでいるように感じられますが、このイタリアという国をわかって頂くためにももう少し書いてみます。それが今この国に暮らし、曲がりなりにもこの国の情報を発信している者の務めかと思うのです。

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さて、大学の登録ですが、視点の置き方次第では僕は幸運だったと言えるかも知れません。つまり、「登録できて当然」という前提が先の文には暗に含まれていますが、ひとたびこの前提を取り払ってしまうと、途端に事情は大きく変わるからです。というのも僕と同様に手続きを進めていた留学生仲間2人が僕以前に書類提出をし、この2人の間で明暗がはっきりと別れてしまっていたからです。もちろん「明」は登録の完了を、「暗」は書類が受理されないということを意味します。結果的には僕は「明」に振り分けられましたが、全く同じように手続きを進めたにもかかわらず、「明と暗」、「天国と地獄」を味わう差異をこの国は生み出してしまうのです。では何がこの差異を生み出すのか、有罪無罪の判決は誰が下し、天国行きと地獄行きの切符は誰の手によって配られるのか。

受付窓口の係員 です。この国では彼らが庶民の生活を左右しています。ご存知のように一般的に窓口の係員は何の権限も持ちません、持っていませんがフィルターとしての機能は持っています。つまり、書類に不備があれば受け取らない。これは万国共通の一般的認識です。この「一般的認識」が、マニュアルのないイタリアという国では通用しないのです。僕は今、「マニュアルがない」という言葉を用いました。これは正確な意味では正しくありませんが、不正確な意味では正しいと思うのです。つまり、マニュアルはあります。ただし、Aというマニュアルを機能させるBというマニュアルがあり、Bを補完するCというマニュアルがあり、Cを無効にしてDというマニュアルを発動させるEというマニュアルがあり、CとDの隙間を埋めるEFというマニュアルがあり、EFにGを添加しHを削除したマニュアルIがあり・・・、つまりマニュアルの無限、マニュアルのカオス、無限とカオスはゼロと同列にあるんじゃあないでしょうか。その辺の力学やら哲学やらはよく知りませんが、そのよくわからない部分で「マニュアルのゼロ」は生じるのです。では、マニュアルのゼロ化の後には何が残るのか。「フィルターの裁量」が残ります。裁量とは判断であり、その時点で実質的にフィルターが権限を持ってしまうのです。

マニュアルとは法律であり、マニュアルがある意味において機能していないこの国は、無法地帯と呼ぶことができます。西部劇によく出てくるあれです。無法地帯には何らかの権限を持っているはずの保安官がいるのですが、こいつらの間でずいぶんの差がある。優秀な保安官がいれば事態は好転し、保安官が無能であるからこそ、無法地帯が存在する。いずれにせよ外からの流れ者「ミスター・ノーバディ」は、この保安官とうまく渡り合わなければならないのです。保安官が優秀ならうまいこと彼を抱き込み、無能ならうまいこと彼を利用する。とにかく「うまいこと」が求められます。早撃ちであり、強大な武器であり、狡賢さであり、冷徹さです。

喩えがうまく機能していない点は厳しい読者諸兄諸姉に叱責いただくとして、とにかく(出ました「とにかく」)、無法地帯における保安官であるところの権限を持ったフィルターと、うまいこと渡り歩き、結果そのフィルターを通過することが求められるわけです。

では如何にして僕は、フィルターの編み目をくぐりぬけたのか。僕の場合、相手は「話がわかる」という意味において優秀な女性保安官であったため(判断の俊敏さが求められる)、懐柔作戦に出ます。まずは、笑顔と爽やかな挨拶。目はいつもより3割増で開き、口元には嫌らしくない程度の微笑み。いつかどこかで書いたように、僕の顔は以上をするだけで割りと好感を持たれる特徴のない顔ですので、特にこの時点で理不尽な扱いは受けません。声のトーンも2割増(もともとでかいし高い)、向うも笑顔、作戦は順調、書類にも不備はない、日本からの留学生とあってやや仕事に不慣れな印象はあるものの係員もよく働きます、奥へ行った彼女が中々帰ってこなくても焦らない(フリでOK)、「時間かかって悪いけど、ちょっと待ってね。」という彼女に笑顔で「いいよ。」、この時点で懐柔成功、案の定次に彼女が戻ってきた時にはすでに新しい学生証と学生手帳、登録確認証明もにっこり出してくれます、申し分なしです。危険を乗り越えがっぽり儲けて無法地帯を去るイーストウッド、モリコーネのテーマソング、エンドマーク。完璧です。

では、駄目保安官や新米保安官の場合はどうするか。その駄目さ加減、新米さ加減につけこんで、こちらを信用させ(不備のない書類をちらつかせ)、「まあ、大丈夫だろう。」と思わせる。裁量のレベルが低いからこそこれが通用します。

やっかいなのは、長年の経験で凝り固まった老保安官。実際の年齢ではなく全ての行動が経験に基づく比喩としての老保安官。マニュアルがないからこそ融通が利くこの国で、融通が利かないフィルターは一番手に負えません。経験したことがないことに関しては、一本調子に「ノー。」と言い、頑なに首を振り続けます。こういうタイプは、突拍子もないこと、理不尽極まりないことをそのタフな「経験」から言い出しもしますので、その突きつけられたマグナムに文字通りお手上げです。一度、手を挙げて、また別の方法を考え出して、出直すしかありません。諦めも肝心なのです。最後はこういう輩に出会わない「運」が求められますが、こればかりはアドバイスのしようがありませんし、その点で、先の「地獄行き」チケットを受け取った留学生仲間は不運としか言いようがありません。

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普段からダラダラ長い当ブログの記事ですが、今回は久しぶりに「ずいぶん長い」です。もう少し続きます。

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滞在許可証更新の予約について、僕は冒頭で、
「現在の滞在許可証が今月末までということもあってその更新手続きも始めまして、それも同様に昨日、予約を取り付けることができました。」
と書きましたが、これには少々省略がありますので、それを補った文章をここに載せます。

「現在の滞在許可証が今月末までということもあってその更新手続きも始めまして、それも同様に昨日、14時から受付に電話をかけつづけ、7秒に1回の間隔でリダイヤルし続け、というのも常に話中だからで、最初は電話を一回一回耳まで持って行き、「ツー、ツー、ツー・・・」という音声で話中を確認していたのですが、それも面倒になり、メールを打つような格好で携帯を持ち、画面に映る文字表示とかすかに耳に届く音声頼りに切り替えましたが、最後には目までつぶってしまって、静かなな午後の静かなわが部屋の中独り、ソファに腰掛け両手で携帯を持ち目をつむってリダイヤルし続け、1時間20分後に眠りかけていた頃にようやく電話がつながり、晴れて、予約を取り付けることができました。」

人生で一番たくさんリダイヤルをした記録の更新です。前回記録は昨年の滞在許可申請のときです。80分(1時間20分)間、約7秒ごとに電話をかけたということは、「80×60÷7」で近似値として685という数値が得られます。5回ほどつながりかけて(まあ、つながらなかったわけですけど)余計に時間がかかったり、最後の方は寝かけてたというのを差し引いても650回はリダイヤルしたはずです。

・・・いやいや、何もそんなに根を詰めなくても気がついた時にかけてつながればそれでいいじゃないの、というような声が聞こえてきそうですし、実際僕もかけながらそう思っていました。でも、携帯電話から発せられる見えない電話線を通じて何かしら色々なことが想像されまして、あるいはそれは擬人化して着順を争う電話交信であり、あるいはそれは存在しないとも否定できない受話器を上げっ放しにしている怠慢堕落オペレータであり、そんなことを考えているとついつい電話のボタンを押し続けてしまうのです。変な時に意地になる傾向があるようです。でもその甲斐あって、女性オペレータとつながったわけですが、正直これだけの回数のリダイヤルを機械的に繰り返していると、そもそもの目的がなんだったかがあやふやになり、リズムよくかけているとつながりかけた交信を自らで断ってしまうこともしばしばで、まして最後の方は眠りかけていたということもあり、ようやくにして"Questura di Bologna, buona sera.(はい、ボローニャ警察です)"の声を聞いた時には、いったい自分が何をしているのかを見失ってしまいまして、そのあまりのことに予約のメモを取る手が震えたほどです。

予約日は来年2月1日。現在の許可証の期限は10月31日。申請から受領まで約2ヶ月。期限切れの11月1日から申請前日の1月31日までの僕の身分というか立場というかはどのようなものであるかの言及は、当然のことながら電話口では一切ありませんでしたが、とにかく何とかなりそうです。

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解決にならない解決、一般論での一般論の上塗りという今回の記事ですが、冒頭のような結果を記しただけの文章では伝えきれない文化的「広がりと奥行き」がこの国は豊かであることは想像していただけたでしょうか。その上で、この国に生きるのに必要なのは、何物にも拘泥しないのんきな心構えと、いざという時にはさっと身をかわす瞬発力と柔軟性です。理不尽なことは果てしなく、理解の及ばないことはさらに限りがありません。だからと言って、こちら側の車線を猛スピードで向かってくる大型バスに一々体当たりしていては身が持たないのです。

閑話休題、次回から再び「ポルデノーネ無声映画祭点描」に戻ります。
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by kantacantalavita | 2006-10-21 21:09 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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