KANTA CANTA LA VITA

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2006年 11月 22日

反省。

え?なに?「全ては美しい」だって?バカ言っちゃいけません。そんなわけないでしょう、少なくとも何か知らんの補足説明が必要だろうと反省しています、『KANTA CANTA LA VITA』です。

先日、「ある季節のある一日がずいぶん美しく感じられたのは僕の目が慣れによって曇っていたからだ、そうじゃなくて本来全ては美しいんだ」というようなことを書きましたが、いえいえ、その実そんなことはありませんし、「美しい」と思うにしてもそれなりの紆余曲折があるわけです。

授業での映画の上映が素晴らしすぎて(これは本当に美しかった)、調子に乗ってちょっと町外れにある、家からはずいぶん離れた大きなスーパーマーケットIPERCOOP(ハイパー生協)に行きました。授業とスーパーがどう関係あるかはここでは問わないことにして、それこそ冬篭りの準備をするお母さん熊の如くどっさりマメやらチーズやらを買い込んで、意気揚々と店を出ると土砂降りの雨。おいおい、そりゃないぜ。こちとら一人の買い物にしては買いすぎたくらい買い込んで、雨が降ったらブレーキの効かないぼろ自転車で雨具も持たず、住む家は旧市街地を隔てた全く反対側ときてる。もう一回言う、おいおいそりゃないぜ。

僕の自転車は日本ではあまり見かけない折りたたみタイプの自転車で、タイヤが小さくもちろん変速など装備されているわけもなく、前記のように湿気に弱く濡れると「まったく」ブレーキが効きません。そんな自転車で太陽も沈みきった帰宅ラッシュのボローニャを重すぎる荷物を担いで駆け抜けることが美しかろうはずもありませんでしょ。

なぜ調子に乗って買い物に出てきてしまったのか、なぜこんなに買い込んでしまったのか、なぜよりによってこの瞬間に雨が降っているのか、怒りに心は震え太ももが疲労に震えます。

怒りついでに言わせてもらいますけどねえ、いつか言おう言おうと思っていたんです、イタリアの便器、あれは駄目です。全てこの世から消えてしまえば良いです。汚いとかそういうのもありますが、それ以前の構造として駄目です。水洗トイレって知ってますか?水で洗うんです。排泄物が落下するその場所を見事にはずしてついた排水口のせいで、毎回便器掃除を要求され、脆弱すぎる水流と、当然の結果として流れない物体と紙のせいで、必要以上の水を流さなければならない。すぐ詰まる。「慣れ」の話をすれば僕は便器に二度以上・・・、食事中に当ブログを読んで下さっている稀有にして奇特な方を尊重しこの場でこの点に関するさらなる言及は控え奴らの駄目さ具合に戻りますが、あまつさえこちらが一番気合の入っている時に便座があらぬ方向にずれる、移動する。便座は座るところですが、便座自身にもきちんと座っていることをこの場で要求します。

O.K.

じゃあ、こうしよう、敢えて「全て美しい」と言う。うちのそれも含むイタリアの大方の便器、君たちにも美という誉を授けようじゃないか、そうした上で美しさにも格付けがある、相対性があり、方向性があり、る。普遍的な美しさの話ではありません、もっと慎ましい、その瞬間瞬間のちょっとした美しさです。映画は全て美しい、その上で全てを見ることを望みつつもそうはいかないから結果的に見る順番、見たいランキングが出来上がる、不可避的に生涯観ることのない作品が出てくるのと同じ原理です。結果的に美しいはずの全ての映画の中に美しさの好みが生まれる。好みなんてものが水物なのも「全てが美し」く、受け手としての人間が不完全だからです。

日没後通行量大のイタリアの道路をブレーキの効かない自転車に乗ってすでに荷物でしかなくなった買い物袋と共に雨の中帰宅すること、便座と水洗に構造上の致命的な問題を抱える水流の悪い便器、これらも視点を変えれば美しい。修復されたフィルムが映し出すビロードの美しさにはかなわないが、興味深いという意味でどこかしら美しい。或いはどこかにそういうのが好みの人がいるかも知れない。びしょ濡れで家に到着した僕の頭から立ち上る湯気を美しいと思う人、これを好みと思う人がいるかも知れない。「全ては美しい」。「全てが美しい」からこそ「好み」が生まれる。買い物の帰りにびしょ濡れになること、喜び勇んで渋滞に巻き込まれること、便座に肝を冷やすこと、これらは美しいけど「僕」の好みの美しさではないんだ!!

すみません。やり場のない怒りに言葉遣いが汚くなり話題が汚くなり、内容はゼロです。苛立ち紛れに書きなぐったこの文章ももう終わりに差し掛かっておりますが、今から読むのを止めて下さっても一向に差し支えのないものとなっております。

結局のところ「全ては美しい」と考えている方が僕のスタイルとしては健康です。雨天や排泄に拘泥しない、ちょっと物事を遠くから見る感じが生き方として心地よいです。

苛立っている自分を笑う、腹立たしい場面に出くわす自分を愛しく思う、「まあ、笑い話としてはそこそこ美しい」と思う、自分を他人のように見つめて楽しみやり過ごす、ブログのネタとしては面白いと思う。これぐらいのほうがこの国では生きやすいです。

久しぶりにla vitaをcantareしましたが、勢いでものを書くときの良さと悪さがあるとすれば完全に後者が前面に押し出されたものとなりました。

何かを言ってる風にあまり長ったらしく書くと、生真面目な美術学生たちに槍玉にされかねませんので、今日はこれくらいにしておきます。

あ、なんか買い物袋が思った以上に重いなあと思ったのはレジに並ぶ直前に手に取ったnovelloのせいでした。新酒が解禁になりましたね。イタリアで新酒をnovelloと言います。フランス語であり、日本でチヤホヤされているヌーヴォーですが、イタリアでは実に少数派で、ハイパーな生協でも棚の一角に数種類並べられている、そんな扱いです。まるで日本の気狂い沙汰を笑うかのよう。でも、新酒には新酒のよさは間違いなくあって、今、先ほどまでの腹立たしさを忘れてご機嫌な僕は、彼らの恩恵に預かる一人なのです。ああ、いい香り。グラスの中に葡萄が入ってるんじゃないか知らん。
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by kantacantalavita | 2006-11-22 07:13 | 親愛なる日記 | Comments(2)
Commented by laura-charles at 2006-11-22 12:47
もう!ひさびさあなたの動向チェックをしようとお昼休みにのぞいたら・・・
最近C春に負けじとイタリア語を勉強し始めました。いくら主婦VS社会人とは言っても50代には負けたくない。今度伊会話教室の開催してくださいw
Commented by kantacantalavita at 2006-11-23 05:36
ようよう、laura-charles。元気かい??「負けたくない」とか言うの、良いねえ、若者みたいだ。たまにはそちらの近況も報告してくれよ。


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