KANTA CANTA LA VITA

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2006年 12月 16日

絵を見る。

絵画素人『KANTA CANTA LA VITA』です。

先月末くらいから少し絵を見るようになりました。ボローニャで暮らし始めて1年が過ぎ、映画ばかりじゃいけないなあという思いが具体化してきたためです。昨年イタリアに来る前に見た上村松園以来、イタリアでは5年前のカラヴァッジョ巡り以来の絵画体験です。

先日のカッラッチの特別展(未報告)に続き今日は、モランディ美術館Museo Morandiの常設展をざっくりこなしました。カッラッチとモランディ、いずれもボローニャ生まれの画家で、4分の1ボローニャ人(私の祖母は理論的にはボローニャ人ですが実際的には日本人です)を自負する私ですので、まあ、始まりとしてこの2つの展示はとても良かったと思います。

ボローニャには国立絵画館(ここもボローニャ大学の学生は無料)というのもあるらしく、一年も住んで「らしく」はないですね、次は訪れるべきはここかなあと目星をつけております。

街の中心にあってしかも無料のモランディ美術館は今日みたいにふらりと立ち寄ることができる雰囲気がとても良かったです。無料ってすごいですよね。何か知らんの理由で通常より30分閉館が早まった今日でしたが、チケット係のおばさんの「無料ですから、またいつでもいらして下さいね。」的佇まいも楽しかったです。

e0017332_11543276.jpgカッラッチ展について少し。カッラッチに限らず多くの絵画がそうだとは思いますが、気に入るのはどうやら、物語、視線、時間の省略(あるいは超越)、エロ、が含まれる作品のようです。え?それらの含まれない作品を探す方が難しい?確かに。とにかくその一番良い例が"Venere con satiro e Cupido"。横長のキャンバスに、こちらに背を向けて横たわるヴィーナスとにやけるサテュロス、変な顔をしたキューピッドが上下に一人ずつ。女の右手がずいぶん変な位置にあるなと思ったらどうやらそれは画面奥(女の正面)からにやけ顔で近寄ろうとしている半獣半人がいる。つまり、露になったその裸体を覆い隠す布を握る右手が腰の方にまで伸びているということですね。で面白いのはヴィーナスの背後に「もう一人のサテュロス」としてにやけた顔でこの絵を眺める僕がいるということです。女は前ばかり隠してその美しい首筋背中腰脇腹臀部まで丸見えなのです。他の作品に比してずいぶん長いこと見入ってしまいました、その背中の「筆使いの美しさ」に。それから、画面外描写というかフレーム内フレームというか、ある種、騙し絵とも言えるような、「イーゼルに乗せられた自画像」も気に入りました。そしてボローニャ人である画家ですからボローニャ関連は面白いです。十字架にかけられたキリストの下にボローニャの守護聖人聖ペトロニオを初めとする数人の聖人が集う。ボローニャの街の上に聖母子が描かれている、なんてのもありました。「豆を食う男」が唯一見たことのある作品でしたが、自身の日々の生活にオーバーラップして楽しみました。土曜日だったこともあって、すごい数のお客さんでしたが、さらにすごいのはそれを補う学芸員(解説者)の数です。次から次へと現われては消え、のんびりしている僕が見たその数はどれくらいになるでしょうか。客層と学芸員のキャラクターから出来上がる団体ごとの雰囲気も、美術館の一つの楽しみ方と言ってもよいのではないでしょうか。出口のところで、少なからぬおじ様おば様たちが担当者にお小遣いをあげていたりなんかして。初めて知りました、そういうの。

e0017332_1158412.jpgで、今日のモランディ美術館ですが、時間の都合上駆け足だったこともあり、詳細は今回は控えますが、特に面白かったものを幾つか。静物画では、淡い色が特徴の(と僕が勝手に思っている)モランディにあって茶色の明暗ばかりで描かれたもの、via Fondazza(フォンダッツァ通り)の同じ部屋から描かれた三枚の絵では最後に描かれた1958年の作品にだけテレビのアンテナが描かれていました、RAIによるイタリアにおける一般放送が1954年とありますからちょうどその境目に描かれた三枚であることがわかります、同1954年版では画面左側ほとんどが平坦な壁というフレーミングも面白かったです。1963年の風景画では少ない絵の具で擦り付けるように描いたその筆使いが、最近流行の「動きのある不動」とリンクしました、手で勝手にフレーミングしてみたりして。静物画を横に5枚ずつ4段にした20枚まとめた展示も素敵でした、作品そのものの良さと雰囲気作りの勝利でしょうか。数本の細いビンを画面の中心をずらして描くというのも好みです。隣設して特別展も開催中で、モランディとレンブラントのエッチング(acquaforte)を一緒に展示していました、作品の題材やほとんど真っ黒でハイライトだけが手付かずで残してあるという描き方等、似通うところもありますが、その理由は知りません。エアコンで恐ろしく暖房を効かせてあったのにはずいぶん驚きました。作品は大丈夫なのでしょうか。

美術は素人ですので、舌足らずですね。頑張って書くとどうしても映画のほうに行ってしまう。絵画の1秒は1枚で、映画の1秒が24枚ですから情報量が圧倒的に違いますが(多いから良い少ないから良いという問題ではありません)、絵画はその分、作品によっては大いに想像力がくすぐられて楽しいですね。しかも僕みたいに全く素養のない人間にとっては、作品を作家で集めてもらえると歴史や背景とは無関係にさらに楽しめます。(「正しい見方」じゃないかも知れないけれど。)映画も監督で見るのは好きです。

(カッラッチはバロック初期を代表する画家とのことですが、恥ずかしながら私、その名前さえも知りませんでした。にしても、ここでもまたバロックですか。動かない教会建築を撮ったカルメロ・ベーネにしろ、動かないゴッホの絵を撮ったアラン・レネにしろ、「装飾(あるいは筆置)にうねりとしての動きがあるから、カメラは動く必要がない」的な姿勢が見られる二人の映画人とその作品に触れてるせいもあって、個人的に興味があるバロックです。カッラッチ自身の絵のどの辺がバロック的なのかは、鑑賞時には全く考えてもみなかったことなのですが。)
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by kantacantalavita | 2006-12-16 11:49 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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