KANTA CANTA LA VITA

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2007年 04月 30日

"La domenica specialmente(特別な日曜日)"

ベルトルッチ(弟)の"La domenica specialmente"(『夜ごとの夢/イタリア幻想譚』の一挿話)をおぼえていない『KANTA CANTA LA VITA』です。

特別な体験をした昨日土曜日の話をする特別な日曜日、今日はそういう話です。

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特別なスルーパス、特別なシュート、特別な欠けた月

土曜日、昨日。いつもの公園のいつものサッカー場、少年たちの試合。一方的な試合だ、ボール支配率なんかあったものではない。橙色チームのキーパーのゴールキック以外はほとんど紺色チームの攻撃だった。こりゃあ、点が入るのも時間の問題だな。そう思うが早いか、ピッチ中央の混戦を切り裂く左ウィングからの一閃、ゴール前に走り込んだフォワードにどんぴしゃりのスルーパス。フォワードはディフェンダー一人を体格で圧倒しシュート、難なくゴール。「絵に描いた」ような、「テレビで観ている」ような得点劇。そのある種の予定調和は、橙色チームには申し訳なくは思ったのだけれど、実際に録画された映像でもう一度観ることができると完全に錯覚したほどだった。

しかしその錯覚の後にやって来た驚き。僕は何の疑いもなく録画再生を信じていて、目の前のできごとのテレビ中継的「くりかえし」を当たり前のように待っていて、実のところもう二度とあのシーンを観ることはできないことに気がつき愕然としたのだ。テレビに映るものとは違うものが目の前にはあったはずなのに、本当に本当に、あの瞬間が巻き戻し再生されると信じていた、願うことも祈ることもなく、ごく当然のこととして。

スルーパスの美しさとシュートの鮮やかさに感動したことは憶えている。しかしあの瞬間それぞれのプレイヤーがどう動いていたのか、なぜあの場面に感動したのか、まったく憶えていない。「まったく・憶えていない」のだ。その後に続いた驚きの大きさのせいもあるかも知れない。しかし思うに、くりかえし観ることができると信じ込んでいた「甘え」のようなものが、あの時あったのではないか。一瞬の出来事の記憶を鈍らせる甘え。ボタンを押せば巻き戻るだろう、あるいは誰か知らない人が再生映像に合わせて過剰なくらいに説明してくれるだろう、そういう甘え。

日曜日、今日。昨日のあのグランドの隣の芝生で、今、ヨガをしている。小さな女の子が「あれ、なにやってんの?」、その父親が「体操じゃないかな」と言いながらそばを通り過ぎて行く。ヨガのつもりなんだけどな、そう思いながら、マンテーニャの"Madonna della tenerezza"のように白い月を眺め、スルーパスとシュートに感動した昨日と同じように、また感動している。昨日の今日だからこの感動を逐一憶えておこう、そんなことはまったく考えない。結局のところ、完全な記憶力なんてものが、少なくとも僕の頭の中にはないことを知っているからだ。それでも目の前にあるものが、目の前で起こっていることが、テレビやビデオとは違う巻き戻し再生不可能な現実であることは、心のどこかに残しておこう。満ちるまでまだ日のある月の白さをマンテーニャ的と感じたことを覚えておこう。この月は明日の月とは違うのだ。テレビやビデオが流す再生映像なんかに甘えるな。そんなものを当然のものと思うな、信じるな。ディフェンダーのフォーメーションを切り裂いたスルーパスは、シュートとなってゴールキーパーの守りをすり抜けた。ゴールネットをぶちやぶって破裂したそのボールが、満ち足りぬ月となって僕の心に突き刺さっている。
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by kantacantalavita | 2007-04-30 08:59 | 親愛なる日記 | Comments(0)


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