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2007年 05月 28日

月間観た映画リスト2007年5月maggio

2007年5月に観た映画です。(2007年5月27日現在)

「コメントcomment」では、感想やらメモやらを観た作品ごとにまとめて記しております。多くは単語レベルでの雑記ですが、個人的な関心ごとという点から、使われている技術と物語の関係、さらには物質としてのフィルムへの言及を話題の主としつつ、その都合上物語の結末などにも触れる場合があります。それを理解いただいたうえで、更なるコメントなど寄せていただけましたら幸いです。

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以下、"原題", 『(あれば)邦題』, 監督, 製作年, 製作国, 上映時間

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"María Candelaria", Emilio Fernandez, 1943, Messico, 110min

"La masseria delle allodole", Paolo e Vittorio Taviani, 2007, Italia ecc., 122min

"I racconti di terramare", 『ゲド戦記』, Goro Miyazaki, 2005, Giappone, 115min

"Il mio vicino Totoro", 『となりのトトロ』, Hayao Miyazaki, 1988, Giappone, 85min

"Il posto", Ermanno Olmi, 1961, Italia, 98min

"Dialogo tra un venditore di almanacchi e un passeggere", Ermanno Olmi, 1954, Italia, 10min

"Pulcinella", Emanuele Luzzati, 1973, Italia, 12min

"La gazza ladra", Emanuele Luzzati/Giulio Gianini, 1964, Italia, 10min

"L'italiana in Algeri", Emanuele Luzzati/Giulio Gianini, 1968, Italia, 11min

"Il flaut magico", Emanuele Luzzati/Giulio Gianini, 1978, Austria, 51min

"Un uomo da bruciare", Valentino Orsini/Paolo e Vittorio Taviani, 1962, Italia, 92min

"I fidanzati", Ermanno Olmi, 1963, Italia, 76min

"Vacanze nelle colonie sicedison", Ermanno Olmi, 1958, Italia, 13min

"La circostanza", Ermanno Olmi, 1974, Italia, 96min

"Cammina cammina", Ermanno Olmi, 1983, Italia, 171min

"Totò che visse due volte", Daniele Ciprì/Fraco Maresco, 1988, Italia, 90min

"La passion de jeanne d'arc", 『裁かるゝジャンヌ』, Carl Th. Dreyer, 1928, Francia, 85min

"Lungo il fiume", Ermanno Olmi, 1991, Italia, 80min

"Milano", Ermanno Olmi, 1989, Italia, 10min

"La leggenda del santo bevitore", 『聖なる酔っ払いの伝説』, Ermanno Olmi, 1988, Italia, 125min

"Le diable probablement", Robert Bresson, 1977, Francia, 100min

"Il mestiere delle armi", 『ジョヴァンニ』, Ermanno Olmi, 2000, Italia ecc., 100min

"Il tempo si è fermato", Ermanno Olmi, 1959, Italia, 93min

"L'albero degli zoccoli", 『木靴の樹』, Ermanno Olmi, 1978, Italia ecc., 170min

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by kantacantalavita | 2007-05-28 19:25 | 映画経験(filmについて) | Comments(24)
Commented by kantacantalavita at 2007-05-02 06:32
「マリア・カンデラリア」(仮)。メキシコ国立自治大学フィルモテーカ。メキシコ国内に残っていたデュープ不燃フィルムと、米国内から提供されたナイトレイト・オリジナル・ネガからの復元。3000ドル、という金額は聞こえた。オリジナルネガなのにアメリカの素材には吹き替え音声が付いていたとか。よくわからない。ショット毎に替わる画質からも復元プリントは複数の素材を用いている事がわかる、ラップ・ディゾルヴの繋ぎ部分は明らかに画質が劣る。ああ、本当に、こういうことをきちんと学びたい、もう一歩先へ進みたい。ドロレス・デル・リオDolores del Rioと水と空が美しい映画、1946年カンヌ受賞作品。冒頭過去を追想するシーンの窓からの光、うごめく雨だれ(六月の蛇を思う)、花が咲く水面、流れる映像、どうしても空が見えてしまう仰角ショット、ロケなのに室内撮影を思わせるのはメキシコの光か技術か(シャロー・フォーカス!)。チネテカで上映中にすすり泣きが聞えたのは初めて。主人公のカップル以外の描き方。ショットの素晴らしいさ女優の近接ショット、教会の下で祈る男、動物愛護祭(?)の密な画面、初めて入った牢屋。50年代ブニュエルもこういう見方をすべきだったか。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-02 07:25
"La masseria delle allodole"。訳すのが難しい別荘の名前。「雲雀庵」?masseriaには「共同農場」という意味もある。「ひばりの群れのような共同農園」ということだとは思うけど、それじゃあねえ。タヴィアーニ兄弟の初期作品における実験精神を知ってしまうと、こういう良くも悪くも成熟した、老成した作品は物足りなくなってしまう。もちろん、あのやんちゃさを念頭に鑑賞することがフェアでもなければ正当ではないこともわかっているのだけれども、しかしそれは期待の表れでもあるのだよ。とにかく、同名小説もあるらしいが、映画になった時点でタヴィアーニ作品である、まあ、俺も年を取ってから見たらまた違うのかなあという可能性。恐すぎるトルコ人。俺の見たトルコではなかった。それにしても「世界史の穴」はあちこちで悩みの種になってます。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-04 02:21
『ゲド戦記』。初めて行く映画館リアルトRialtoの2階上映室(小)にて。上映開始時の観客は僕一人、本編が始まってちょっとしてから年配の男性が一人入ってきた。それくらいの反響と見ても良いのか。竜のモザイク、街の遠景がきれい。後者はどう見てもイバラード(耳をすませば)を思い出させる。ハイタカがそのままsparviereになってて、そのことを知らなかったから「歌」との関連が甘すぎた。絞め殺されたと思ったテルーの赤い目と背後に現れる竜、唐突な竜(テ竜?)の主観ショットと飛行、竜と対面しているアレン(あのポスターに対して父駿氏は「間違ってますよね」と言ったらしいが)、あの辺の雰囲気は楽しんだが、そう言いつつもこれを書きながら、結局何もわかっていないことに気づきがっかりする。テルーの歌だけ日本語で、実は耳で聞き取れることを感動していた。しかしそれ以外の言葉での説明がよくわからなくて、でもこれって子供もわからないってことだよなあと自慰する。いやいや、子供には想像力があるんだぞ。過去の宮崎作品との比較という甘すぎる誘惑と、それなりの答え。「釜の底が抜ける!」って心の中で言った。イタリア人テルーは何度かアレンを「ハレン」て呼んだ。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-07 02:00
『となりのトトロ』。DVD。スクリーンであることを喜ぼう。が、それでお金を取っていいのかな?日曜の午後、親子連れのみならず、大学入りたてくらいの子、僕らくらいの人もちらほら見かけるのは、イタリアで一般公開されていない現れか。チャップリンの『キッド』の同時通訳と違って、やはり台詞の同時通訳はずいぶん厳しい、印象ではイタリア語の音声不良もありかなり聴き取りにくい部分もあった。しかしある程度声色で演じ分けていた点など、ミスもなくはないとは言え一人の仕事であることを考えればとても素晴らしい。上映後、ひとこと求められて「いや、もう十分喋ったから」、は冗談には聞えない。今の日本でも失われたものをイタリア人の子供たちはどう観たのだろう。唯一オート三輪はイタリアでこそ現役だけど。「画と動きとモンタージュで笑う」、これがやっぱり映画の醍醐味だ、子供たちを見ていてそう思う。とは言ってもやっぱり話し言葉の面白さもわかって欲しかったんだけど、「おじゃまたくし」とか「まっくろくろすけ」とかね。「日本人アーティスト」が紹介されてた。上映後、マイクで「映画会ごっこ」して遊ぶ子供たち。「トットロトット~ロ」と帰り道で歌っていたのは親ばかり。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-11 06:22
「就職」(仮)。昨年9月24日にも見た作品で、その時のメモを読むと「はっきりしない主人公にイライラしつつも…云々」と書いている。ところが今回は、職場のお姉さんよろしく"Carino(かわいい)"とまでは言わないが、なかなか共感が持てた。ふとした瞬間の、ちょっとした仕草/表情は演技ではないが完璧だ。しかしそれ以上に良いのは女の子役のロレダーナ・デットLoredana Dettoで、IMDbに拠ればこの一作しか出演していない。画像検索にも引っかかる「バール」のシーンや「バス停」のシーン、「再会」のシーンはバストショット(よりもうちょっと近い)なのだけれど、抜群だ、遠くの灯りがにじんで丸く連なったりして。吹き替え声優も良い。バールのコーヒー・スプーン、渡れない道路とつながれた手。入社試験やデスクワークの部署のシーンも素晴らしい。「手のひらを上に、下に」の精神工学者(?)は有名な評論家トゥリオ・ケツィックTullio Kezichだったと今知る。下手な熱唱は"Piove"で、その熱さが心に染み入る。一部非時間順あり。このコントラストの強い画は、主人公の奥の奥の方にある強さの比喩か、あるいは根本的な弱さへのカウンター・パンチか。今回も付いていた「金魚」の挿話。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-11 06:29
「暦売りとある通りがかりの男の対話」(仮)。エルマンノ・オルミ監督最初期作品。凍った枝、冬の湿った空気(『木靴の木』を思わせる)、二人だけの楽隊、同業者との鉢合わせ、という「通りすがりの男が通りすがる」その前がとても良い。「来年は良い年ですよ!」と言ってカレンダーを売る男に食って掛かる男、「大事なのは、まだ知らぬ年、未来だろ?」みたいなことを言ってたか。20年間カレンダーを売って生きてきた男に降りかかった奇妙なできごとだが、それでもやっぱり年末には鐘が鳴り、パイプオルガンが響き、花火が打ち上げられる。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-14 09:08
「プルチネッラ」(仮)。初ルッザーティ・アニメーション。まだ知らぬこういう優れた作家とその秀作が世の中にはたくさんあるんだろうという喜びと悲しみ。言葉は唯一「マンマ・ミーア」で、それ以外は全編理解不能な音声。なのになぜ面白いのか? やっぱり「画と動きとモンタージュ」だ。音楽との見事なシンクロもモンタージュで考えられる。馬に乗った憲兵たちの動きがとても恐い。子プルチネッラと母プルチネッラと憲兵の絡み。家に帰っても母親が恐くて屋上で寝る、夢を見出してからの速度、短いモンタージュ、登場人物が怪物に変形、色がすごい。紹介で現代の3Dアニメとの比較に触れていたが、振り返るプルチネッラは3次元を表現していた。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-14 09:08
「泥棒かささぎ」(仮)。冒頭のたくさんの鳥とたくさんの矢と打ち落とされる鳥の比喩。かささぎの奮闘振りに心で感涙。3人の王との絡みのシーンの想像力、海を切り裂き、雲をつついて雨を降らせ、自ら水車となって波を起こす。かささぎの顔にカメラが「ズーム」するし、かささぎはカメラに「近づく」。人物と鳥たちには表情がある、顔の中身が動く。銃と弾丸によるオープニング・クレジットもかわいい。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-14 09:09
「アルジェのイタリア女」(仮)。「オリジナル・ネガからの修復」とあるが、それ以外は違うということだろうか。冒頭、英語で物語の設定の説明。場内で親が子に説明するヒソヒソ声が聞える。俺にも教えてくれ。女の目に表情があるのに対し、男の顔はぴくりとも動かない。音楽と画のシンクロの完璧さは特筆に価するが、その意味で、物語り後半からの加速度的な急展開(短いショット)は見る者を酔わせる。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-14 09:21
「魔笛」(仮)。コマ撮りのアニメーションだけでなく、人間(パパゲーノ)も幕間に登場するし、液体の表面に油をたらしたような模様の動画もあるし、絵の素材も単なる絵の具じゃない、不思議なアニメーション。本来2次元のアニメーションの画が3次元的に回転する。大蛇に追われるタミーノを救った3人の女の光線。しばしば影絵になる。夜の女王が変わるときの描写がこわい。人間パパゲーノが登場する幕間のちょっとしたセットのデザインもルッザーティだろう、上映冒頭の解説で、「アメリカの分業システムの対極にあるルッザーティの仕事を見ろ」と言っていたのを思う。クライマックスの青い画面の美しさ。ドイツ語の歌詞を理解しながら見たかったが、字幕ならば今回のようにない方が良い。エンディングはパパゲーノとパパゲーナの子作り。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-15 08:20
「火あぶりにすべき男」(仮)。若いジャン・マリア・ヴォロンテ、もうじきあなたがこの作品を撮った年になるよ、俺も。村に帰って家に入ってからのサルヴァトーレのシャツが二度替わった(3種類)のは、自らの死を宣告され想像したシーンへの布石か、単なる「誤ったつなぎ」か。採石場での時間の省略モンタージュもあるから、同死刑想像シーンのおかしなインサートショットともに確信的なものかも知れない。農場と採石場と村の描写、これがシチリアか。数年前には農業を志すのも悪くないと思わせるほどに美しく見えたものとはまったく異なる。ヨーロピアン・ヴィスタ(1,88:1)に見えるが、どこかでイタリアはアメリカン・ヴィスタが主流だったというのを読んだ記憶がある。画面内の役者は鼻歌を歌っているようには見えない程度に鼻歌を歌い、それがBGMとなって独白が入る面白さ。荒野(農地だけど)での農夫たちのロングショット。3人の監督たちの頭にはネオレアリズモがあったんだとか。農夫たちの顔に光る汗が、「現実という肌にピッタリくっついたネオレアリズモ」なのだ。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-15 08:40
「婚約者たち」(仮)。「就職」(仮)と「婚約者たち」(仮)の2本が日本で見れないのはとても悲しい。それぞれの女優に会えないのが悲しい。新作のパン屋の女の子もかわいかった。好みは合うかもしれませんね、オルミ監督。これらは本当に美しいぞ(あ、作品のこと)。冒頭、ダンス音楽が鳴り止まないうちに画と少ない言葉で事情を説明してしまう鮮やかさ、ダンスを見てるはずが工場内の明滅する明かりに変わった時は鳥肌が立つ。音の使い方はとても面白い。北イタリア(ミラノ)と南イタリア(シチリア)の間を肉体的に精神的に旅する主人公、それぞれでのダンスとパーティ、固定カメラと手持ちカメラ、それぞれの暮らし。『去年マリエンバードで』的な塩田、工場の花火的な火花、ひと気のない広場(財布の落し物捜査)、犬が入り込んだ教会。白い壁と女の顔の中心をずらしたフレーミング。ずいぶん回転するダンスと少し微笑む女、エンディングのキスシーンは背景が回っている。デ・パルマはこの辺の影響も受けてるのかな。映像で文通しちゃうのは安易な気もするけれど、いざ見せつけられると魅せられる、女の目へのスポットライト、顔半分フレーミング、映像の女が文面を読んだりして。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-15 09:20
「夏休み臨海学校」(仮)。夏休み臨海学校の宣伝のような教育映画。スタンダード(アカデミー)だと考えるも、証拠なし。最初と最後に、イラストで説明。映像として美しい。ジェラートを見つめる子供の目、カメラを見つめる子供の目。チネテカの客の中で、一番鑑賞本数が多い人筆頭と最近会うたびに喋る。今の姿からは想像できないが、映画のカメラマンだったらしく、もちろん作品に関しても詳しい。ベネチアでは黒澤にも会ったらしいし、京マチ子を褒めている。今日はカメラの話になって、ドイツのアリフレックスに似た日本のカメラの話をしてくれた。いったいどういう人なのかよくわからないが、興味深い話を聞かせてくれるのは間違いない。しかしそんな彼は、オルミ初期作品で寝ていた。「婚約者たち」では、開始早々に、「ああ、昔に見たなあ…」とつぶやいていたのに。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-17 06:42
「事情」(仮)。コラムであんなことを書いてしまった手前、ここ数日は見る映画の画面比率を考える。今日は、74年のサウンド映画だから、スタンダード(アカデミー、1,37:1)だと思ったけど、実はテレビ用の映画として撮影されたため、4:3(1,33:1)だった。そんなのわからないよ。ということはサウンド・トラックはいったいどうなっているんだろう。やっぱり良くわかってないアスペクト・ラチオ。IMDbで調べてて面白かったのは、この作品、脚本、撮影、編集のすべてを監督のエルマンノ・オルミがやっているということ。女の子や母親のフラッシュ・バック。ずり下がっている(というにはあまりにずり下がっている)台詞はシンクロとかそういう問題ではないほどだが果たしてその意味は。過激なロック音楽。牛の堵殺場面は、『木靴の木』からさかのぼる4年前である、かなりすごい。緑と黄の電話に、「白い電話」を思う、お母さんの水色のワンピースとお父さんがいる洗面所のオレンジの壁、プールの青と赤い花、黒いソファに座ってる白い眼の少年の黄色いセーター、これはカラー映画だ!お父さん(途中からおじいちゃんになる)の会社での話は基本的にすべてわからなかった。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-19 05:11
「ゆっくり歩け」(仮)。隣の上映室では、マノエル・ド・オリヴェイラの『メフィストの誘い』をやってるんだなあと、鑑賞中何度も思う。夜明けや日没直後の空の青さ、その青を背景にした天体観測の木から下りる青と黒の画。一方で神への賛美的に美しい詩を唱える賢者と、他方極めて俗っぽい(トスカーナ)方言をどもりながら話す百人隊長の対比。子供の目は、大人のそれに比して顔の総面積に占める割合が大きいから、時に愛らしく見えるとどこかで読んだが、同時にその視線は時として恐ろしく鋭く強いものになるということを映画は教える。子羊のいけにえに反抗してトマトを投げつけるシーンはなかなか良かった。現代に撮られた歴史モノ映画作品の中に「現代の産物」を見つけ出すのはなかなか楽しい。粗探しにも思えるが、場合によっては思いもかけない効果を生む。そんなことを楽しんでるって、やっぱり歴史モノを苦手とする現れかも。ちなみに、こちらに来てから、数えている分で500本到達。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-21 06:16
「二度生きたトト」(仮)。いきなりロバと交わる冒頭は同監督作品"Lo zio di Brooklyn"の映像。全編通じて完全なシチリア方言で、イタリア語の字幕が入る。ベータかデジタルのソフトだが、オリジナルの画の迫力は、かのロバが映る映画館のシーンから大いに伝わる。しばし圧倒的に稀有なショット、ロバの股間によるフレーミングは少なくとも初体験。「『本質的な価値を見失った人間性を通じて、神の死という無二のテーマ』に密着する」と批評にはあるが、ううむ、とにかくこれを見たら「やっぱりイタリア旅行はシチリアに限るよ」なんて口が裂けても言えなくなるぞ、画は美しいが映るものは美しくないのだから。もちろん、きちんと分析したら面白そうではあるが、今日はその画とシチリア方言と性関連で度肝を抜かれたから、次回はフィルムで落ち着いて鑑賞したいものだ。「検閲によって公式に押収された最後のイタリア映画」という記述も、ザニケッリのモランディーニにはあるから、フィルムでなんか見れないのかも知れないけれど。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-21 07:11
『裁かるゝジャンヌ』。近接ショットはもちろんすごいのだけれども、それをさらに純化するのは背景の「白」だと思う。ベルイマンなんかにも時々あるけど、この真っ白(あるいは真っ黒)な背景は、とても好きである。何度くらい回っているのか、回転チルティングは異様。トラベリングもアングルもすごいぞ。2005年に日本では紀伊国屋からクリティカル・エディションなるものが発売されているが、その上映時間は97分だが、今日のはプログラムには85分とある。あああ、各国版で上映時間が違うのは字幕とfpsの問題だろうが、説明してもらわんと今自分が見ているものがなんなのかわからなくなる(今日のに限って言えば、冒頭の説明を以前読んだからと言って読んでない僕が悪い、ピアニストを見てました)。おそらくソフトとしての最新版のマスターは1981年にノルウェーの精神病院で発見されたプリント(消失したオリジナル・ネガ、ドライエル編集版、デンマーク版?フランス版?にかなり近い)で、そのマスターを使っているはずだから、そう差は出ないはずなのに。紀伊国屋版についている小松先生の解説を読みたい。ちなみに手元には、1952年の修復に関する資料があるが今晩ちょっと読んでみようかしら。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-22 07:57
「川に沿って」(仮)。上映前にブルーノが、ルルーシュはフランスのカメラにニコンのレンズを載せたこともあるとかいう話を聞かせてくれた。映画技術(撮影とか上映)に関する興味も大きくなる日々。ああ、あの本買っておけば良かった。フィルムそれ自体の状態は良い部類に属するはずのに、巻毎のつなぎをセロテープ(そんなことが可能なのか?)でやっていたり、上映中に画面が大きくなってレンズをちょこちょこいじったり、その影響か、突然アナモフィック的にワイドになってはみ出たり、マスクがフラフラ現れたり、黒幕を相変わらず無意味にちょこちょこ動かしたり、作品外の映画を楽しむ。聖書の引用が数フレーズ、スーパーインポーズされているが、本当に「川の言葉」みたいに読めるから面白い。詩の朗読のような、ちょっと哲学的でもある文章はそれ自体でも読むに耐えうるもののような印象があるが、映像に集中するとまったく耳に届かない。オルミ監督は新作で同じポー川を取り上げるが、10年以上さかのぼるドキュメンタリー映画に様々な共通のモチーフを見出す。最上川で映画を撮る、ということを鑑賞中に考える。「特別企画」とあったが、何のことはない通常の上映だった。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-24 07:00
「ミラノ」(仮)。オルミ監督の川への思い。流れる風景、人の流れ、車の流れ、時代の流れ。すべては「川の流れのように」である。品の良いレストランから、いつの間にか時代がさかのぼっている鮮やかさは、監督の腕であり、編集者オルミの技であり、あるいはミラノの魅力かも知れない、と思わせるには十分だったので、「観光フィルム」としては成功しているのではないか。『12人の監督、12の街』をぜひ見てみたいものだ。ボローニャはともかく、カリアリとかバーリとか、どんな作品に仕上がるか。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-24 07:26
『聖なる酔っ払いの伝説』。色んな信じられないことが起こりすぎて、やや過食気味。でもそれが「呑む楽しみ」でもある。ずいぶん昔に見た記憶はあるが、実のところさっぱり良いとは思わなかったのに、今回は予想以上には楽しんだ。飲み屋やダンスホールなどの、酔っ払った主人公の周りのほとんど動かなず言葉も少ない人々が面白い。雨が降ったり、上がったり、明るかったり、暗かったり、嵐の夜の酔っ払いモンタージュは冴えていた。豆のスープを食べる人々の美しい画、入れ替わる老夫婦。紳士(アンソニー・クェイル)の鼻水は完璧だし、ギャビ(サンドリーヌ・デュマ)で四度オルミ監督とわかりあう。フラッシュ・バック内フラッシュ・バックという新しい経験。元々台詞は少ないが、その半分はオリジナルと思われるフランス語のままという、節約吹き替えにうんざり。フランス語っぽいイタリア語とか、入れたり入れなかったりするなら、字幕にしろ。"Je..., vorrei..."とか、勘弁して欲しい。ああ、パリに行ったら奇跡が起こるかしら。Panavisionとエンドクレジットにはあるが、ヨーロピアン・ヴィスタ(1,88:1)くらいに見える。パナヴィジョンはややこしい。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-26 04:21
「たぶん悪魔…」(仮)。ちょうど去年の今頃チネテカでやったブレッソン特集だが、メモを見たら、この作品は未見らしかったので喜び勇んで上映室(しかも前から2列目)へ参上するも、最初の数ショットで既視感を覚える。そして程なく「ああ、これ見たことあるなあ」と実感したわけだが、それでも、最初のショットで気づかないこと、さらにはタイトルで気づかなかったことを情けなく思う。非フィルム上映(告知してほしい)だが、黒い部分が真っ黒じゃないことはひとつの違いと言って良いのかしら(冒頭の船)。話される言葉の理解はあきらめる。字幕を(前から2列目で)追うことによって、映像を見逃すのは悲しすぎる。さて、やはり、ブレッソンの細部の描写(バスの乗客と運転手の動作と内装を短いモンタージュで)は興味深い。書き物を読んだことがないからわからないが、間違いなく言及される点だ。足元に向けられたハイ・アングル・ショットもそのひとつと言って良いはず。教会での意味不明な議論とパイプオルガンの調律のシーンが面白い。8mmの映像も登場するが、35mmにブローアップしたら映像を意外と興味深く見る。墓場のシーンの「冷たさ」と作品の「冷たさ」、フィルム(作品)の温度。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-26 04:34
『ジョヴァンニ』。映画作品に対して良くも悪くもしばしば頻繁に「屈する」私だが、これも大阪ヨーロッパ映画祭で悪い意味で屈した作品。覚えているショットが宣伝用のフォトグラムという完敗ぶり。内容は(おそらく)歴史のひとつの解釈なのだから、極力話される言葉に耳を傾けながらも、映像重視をする。登場人物がカメラ目線で説明する冒頭。手紙に対して実際に話すように答える若き妻は『婚約者たち』と同じ技だ。暖炉の前の母子、入れ替わる女、足の切断とフレスコ画とまぐわいモンタージュ、死の床に現れる妻。『川に沿って』でも感じたことだが、この監督の映像にしばしば見て取れる色の調整は、フィルター・ワークなのか、タイミングによるものなのか、こういうことはさっぱりわからないので、誰か教えてほしい。ポー川はオルミ監督にとって大切なモチーフなのだということが今回の特集でよくわかる。歴史についてはさっぱり学ばなかったが、今回は良い意味で屈服したのでとてもうれしい。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-26 05:08
「時間が止まった」(仮)。IMDbによるとシネマスコープの一種Totalscope(2,35:1)らしいが、実際のところこの作品はワイド画面の勝利である。59年とはまさに『ポンペイ最後の日』と同年で、Supertotalscopeとの違いが気になるが、果たして。冬山がえらく美しいのはワイド画面であることが6割くらい起因していると思う。新参若者とベテランの最初の馴染まなさと妙、視線のドラマ。(ねじが切れて)止まってしまう時計の音と画、「時間は止まってしまった」のだ。ポレンタがとても美味そうだが、近頃はどうにも暑すぎる(近所のスーパーの温度計は40度を記録)。寡黙な男が父親らしくなる吹雪の夜はべったべたでとても良い。方言が顕著だったが、大筋でわかったのは最近どこかで読んだ「物語の普遍性」に到達しているからか。突然、冬山に「キング・オブ・ロック」がこだましたと思ったら、60年代にビートルズがそれほど受けなかったイタリアの最後の砦、ロックの王様ことチェレンターノだった。古いプリントなのか、巻頭巻末の傷みが激しく、一部フレームがずれる(技師気づかない)。ディープ・フォーカスが死んでしまっているのはフィルムが波打ってしまっているせいか。
Commented by kantacantalavita at 2007-05-28 19:41
『木靴の樹』。DVD。スクリーン上映はまあうれしいが、フランス語字幕は消せないのか? まあいい。なぜならやっぱり作品が良いからだと思う。ああ!作品が良いからこそ、やっぱりフィルムで見たかった。まあいい。ベルガモ(ミラノの東北東)の方言、わからないところは完全にお手上げだが、それでも作品に対する考え方が揺らがないのは、「映像で語っている」からなんてことを言って良いものか。思えば、アヒルの首をちょん切ったり、豚の解体を見て圧倒されたのはこの作品を初めて見た時だが、今になってわかるのはオルミにとっては何の珍しいことでもないと言うこと。家畜もいずれ死ぬのだし、だからこそ生きている間は「川の水に祈りを込めて」飲ませたりもする。「川」はやっぱり流れていた。そこで洗濯もし、人々を都市へと運ぶのだ。最後の、「覗き見」のシーンほど映画的なものもないぞ、誰かがこれはまったく映画的ではないと言ってたけど。荷を積むバッティスティをロング・ショットでとらえ、のみならず窓枠を映したり、ガラス越しだったり、外を覗いてる人々を映したり。オルミ監督、今回もきっちり美人を起用していた。美人と思うツボはやっぱり一緒かもね。「川と美人と家畜の堵殺」。


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