KANTA CANTA LA VITA

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2006年 12月 31日

2006/12/31 日曜日

ボローニャのシネマテーク『リュミエール』の2006年12月31日(日)上映プログラムです。

Cineteca di Bologna "Lumière"のホームページはコチラからどうぞ。
当日のプログラムへはトップページ左上の"oggi"から。

詳細はコチラから。
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by kantacantalavita | 2006-12-31 16:49 | Cineteca Bologna | Comments(2)
2006年 12月 31日

チェ!チェッ!ハートが泣いてるの

一時帰国していた友人のお土産「アニメーション『タッチ』Best Song Book」というCDを堪能する日々です『KANTA CANTA LA VITA』です。

幼き頃に聴いて育った楽曲自体にもしびれています(リミックス版ですが同様にしびれます)が、歌詞も良いです。本来、歌詞重視で音楽を聴くことはあまりないのですが、メロディーはもうすでにインプットされてますので、自然に歌詞に目が行くわけです。

失われて久しい日本語の、その陳列棚のようなブックレットです。ちょっと引用しましょう。

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"呼吸を止めて一秒
 あなた真剣な目をしたから
 そこから何も聞けなくなるの
 星屑ロンリネス"

"手を伸ばして 受け取ってよ
 ためいきの花だけ束ねたブーケ" 
 (以上「タッチ」、作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明)

"紅茶のカップに涙が輪を描いた時
 だれかにやさしく抱かれている気がしたら
 僕の合図だよ"

"見つめているよ
 ひとりっきりじゃないよ
 さびしい時は
 テラスに星くず届けてあげる"
 (以上「星のシルエット」、作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明)

"星が夜空で泣けば
 ふたりせかせる門限ね
 さぐり合うからあぶなくなる
 風に飛んでく夏の
 帽子みたいに たよりない
 今の私を 逃がさないで
 愛が肩で息をしてる ほら チェッ チェッ
 胸にあなた 刺したトゲを抜きに来てよ
 心の中に旅して
 だけど でもね なのに すぐね ほら チェッ チェッ
 迷いだすの 色をまぜて回すキスのルーレット"
 (以上「チェッ!チェッ!チェッ!」、作詞:康珍化 作曲:芹澤廣明)

"涙がかなしいキーでハモるよ
 頬寄せた机の傷さ
 指先かすれた文字を読んだよ
 あゝ僕の名前が刻ってあった"
 
"涙が切ないコード叩くよ
 好きだよとハミングしても
 二つの思いが重ならないね
 あゝ壊れたデュエットみたく"
(以上「ひとりぼっちのデュエット」、作詞:売野雅勇 作曲:芹澤廣明)

"あいつのいちばん大事な
 人を好きになった罰だね
 僕だけ泣けばいい

 グラブで隠したサインさ
 好きさ好きさ好きさって
 胸でつぶやくよ
 
 ボードに並んでく
 僕の愛さゼロが・・・・・・"
 (以上「さよならの贈り物」、作詞:売野雅勇 作曲:芹澤廣明)


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僕もこうして自分の言葉を綴る人間の端くれですが、なんと言うか、貧弱な脳みそと薄っぺらな語彙集を目の当たりにした気がします。「ボードに並んでく 僕の愛さゼロが・・・・・・」なんて僕にはひらめかない発想ですし浮かばない言葉です。記号学的雰囲気も感じられますし、実のところ意味はイマイチわかりませんが、わからなくっていいんですよね、なぜならぼくら読み手の想像力をくすぐりますから、大いに。

作詞家の売野雅勇という人を僕は知りません。ので、インターネットで検索していたら面白いことがわかりました。先日の投稿で中谷美紀が歌った坂本龍一作曲の「砂の果実」を引用しましたが、それもこの人が書いたものでした。虫が知らせたんですかね、この偶然。さらに上記引用曲全ての作曲編曲を担当した芹澤廣明、この人自身唄がうますぎます。成人男性である僕が歌うには高すぎる声がカッコ良いです。チェッカーズなどに楽曲提供していた人みたいです。CD聴いてみたいです。

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思うのは、拙いながらもどうせ言葉を弄ぶなら、思いっきり遊んだ方がいいなあと。詩人でもルポライターでもないこの中途半端な身分を逆手にとって好き勝手に楽しめるなあと。

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あれは小学校中学年くらいでしたか、家にタッチのLPがあったのを覚えています。プレーヤーがあったかどうかは記憶にありません。はっきりしているのはそのLP自体を聴いたことがないということです。ではなぜこんなにもはっきりと曲と歌詞を記憶しているんでしょう。テレビだってそんなにずっとは見せてもらえませんでしたし、ビデオが我が家にやってきたのもずいぶん後になってからだったと思います。

おそらく、あの頃の僕は、歌詞を覚えるのに必死だったんですね。そうやって一人遊びをしていたんです。「すれちがいや 回り道を あと何回過ぎたら 2人はふれあうの」なんて歌詞の意味なんかさっぱりわからず、それでも覚えることを自らに課してひとりで優越感に浸っていたのかも知れません。記憶にない誰かに実際に歌って聞かせていたかも知れません。

最近、イタリア語の単語にしろ、映画関連の固有名詞にしろ、さっぱり覚えられないのは、あの頃の必死さが欠けているからなのかしら、などとも思うわけです。

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e0017332_10153410.jpg小さい頃も大人になってからも楽しめる、二度美味しい『タッチ』の楽曲集の紹介でした。

(このCDのジャケットも物語世界からは逸脱した感じが良いです。)
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by kantacantalavita | 2006-12-31 10:15 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 12月 31日

リンクに追加。

飲み会や飲み会で人に会う機会の多い年末、新たに2つのページを追加しました。いずれもボローニャを拠点に世界をまたに駆けて活躍されてる音楽家さんのページです。

「赤~コーナ~、ワイン大王NOMUNO&ひらめきTAVERNO~ちゃ~~ん!!」
赤海老ログ

「青~コーナ~、素敵な香り~yuka~ちゃ~~ん!!」
C'è profumo

「なおー、いずれの紹介文もー、勝手な解釈でーありまーす。」
(「素敵な香り」って・・・、誤解を生みそうですが、HPの名前をやや拡大解釈しただけです。悪しからず。)
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by kantacantalavita | 2006-12-31 04:09 | 追加・更新・変更・リンク | Comments(0)
2006年 12月 31日

2006/12/30 土曜日

ボローニャのシネマテーク『リュミエール』の2006年12月30日(土)上映プログラムです。

Cineteca di Bologna "Lumière"のホームページはコチラからどうぞ。
当日のプログラムへはトップページ左上の"oggi"から。

詳細はコチラから。
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by kantacantalavita | 2006-12-31 00:22 | Cineteca Bologna | Comments(0)
2006年 12月 29日

キューバ革命に参加する

何よりもまず脳内革命が必要と思われます『KANTA CANTA LA VITA』です。

僕が研究で取り上げてようとしている人が、僕が研究で取り上げようとしている時代に、革命真っ盛りのキューバを訪れているらしい(僕のそれのように日記が嘘でなければ)ことから、キューバとキューバ革命とキューバ映画に興味を少し持って、最近利用しているmixiで情報を集めようと色々検索していたら、「キューバ革命」というコミュニティがありましたので、さっそく登録しました。

mixiユーザーの方はご存知かと思いますが、ひとつのテーマについて取り上げるコミュニティというのがあって、そこに登録しておけば新旧のトピックスが読めるというものです。誤って登録してしまわないように、本登録の前に確認の頁まであって、一連の手続き(クリック)は質問形式で問われるわけです。

「このコミュニティに参加されますか?」
      ↓
①「コミュニティに参加する(クリック)」
      ↓
②「○○(コミュ名)に本当に参加しますか? 参加する 参加しない」

という具合です。で今回僕はキューバ革命というコミュニティに参加するために①から②に進んだわけですが、そこで困ったのは、

「キューバ革命に本当に参加しますか?」

と、問われたことです。「本当に」などと念を押されると何か心配になってしまいます。え?病床のカストロの後釜は俺か?などとあながち冗談とも取れない問いなわけです。

同様に、「いじめ」について真剣に考える「いじめ」というコミュがあればその問いは、

「いじめに本当に参加しますか?」

になりますし、家庭内暴力の被害者が胸の内を明かしあう「家庭内暴力」というコミュがあれば、

「家庭内暴力に本当に参加しますか?」

となるのです。頁の製作者が確信犯的に作ったんじゃないかと思わせるのは、当然のこととは言え、「参加する」「参加しない」を登録希望者の意思(としてのクリック)に拠っているところです。

「いじめに本当に参加しますか?」

「参加しません(クリック)」

トップページに戻る。いや違うんだ、コミュニティに参加していじめをなくすのに一役買いたいんだ。

「コミュニティに参加する(クリック)」

「いじめに本当に参加しますか?」

いや、いじめ(そのもの)には参加しない、でもいじめ(コミュニティ)には参加したいんだ!!

「いじめに本当に参加しますか?」

「参加しない(クリック)」


あああああ!!!!

こういう事態だって起こりうるわけです。

一瞬本気でドキッとするので他に面白いコミュニティがあれば教えてください。
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by kantacantalavita | 2006-12-29 10:34 | 親愛なる日記 | Comments(3)
2006年 12月 29日

スリに合いかける、年末。

「やっぱりネタはattualitàだな」、前回の投稿に引き続き、身を持って体感しております『KANTA CANTA LA VITA』です。

街の中心リッツォーリ通りvia Rizzoliにある、在庫処分半額セールをしている本屋でご機嫌に買い物をし、大通りを渡って家に向かっていました。今日の夕方、街の中心、年末の午後、人通りはいつもよりやや多いくらいでしたか。

本屋のレジで肩に掛けてるウエストポーチから財布を出し清算したあと、財布はコートの胸ポケットに入れたものの果たして鞄のチャックはちゃんと閉めたかな?ああ、ちゃんと閉めてるな、いや、3cmほど開いてるや、きちんと閉めなきゃ、よし。・・・約10秒後、歩数にしたら本屋を出てチャックを確認した場所から20歩ほどした時でしょうか、鞄が微妙に引っ張られている感じがしました。鞄の紐がどこかに引っかかってるのかな?確認のため背中の方にある鞄を前に持ってこようとしたときです。驚くほどの背後至近距離に二人の若い女。幾らこの人込みでもそれは近すぎるだろう、と鞄に目をやるとさっき閉めたチャックが開いている、さらには左の女はチャックに手を掛けています、なんで?近すぎる女たちに目をやります。左の女と目が合います。と、女たちは90度方向を変えて、ウインドーショッピングしているふり。そう、ふりなんです。

それがスリだったことに気づいて、すぐに鞄の中身を確認します。手帳は入ってる、チネテカの会員証もある、図書館で借りたDVDもある、財布はドキドキ高まる胸のポケットだ、何も盗られていない。

もう一人をにらみます。彼女は目を合わせません、飽く迄ウインドーショッピングに興じてます。チャックを閉め僕はその場を立ち去ります。何も盗られてはいないのですし、第一ものすごく怖かったのです。よく、スリ集団は一見してそれと判る格好をしていると言いますが、彼女らはどこにでもいるイタリア人風の女の子に見えたことに驚きました。そしてなにより知らぬ間に鞄を完全に開けられていた事実。あの人だかりで誰も気づいていない、気づいていても声を掛けない事実。本当に怖かったのです。

その場を後にしながら、あの時すぐに声を上げるべきだったかとも考えました。「みなさん、ここに泥棒がいるので気をつけてください」とか。と同時に、映画の観過ぎか、すぐに復讐されることが頭をよぎりました。実際観たような気もします、通報した泥棒に刺されるという映画。

とりあえず未遂で済んだことを良しとしよう、その上でこちらに油断があったことも認めなければならない。認めて以後注意する。反省して学ぶ。

これだけスリが多い国といわれる国に一年以上いて、明らかに気が緩んでいたんだと思います。「スリに合うのは注意が足りないんだよ」なんて言ってたものに僕がなっていたのです。財布をコートの胸ポケットに入れていたのは幸運でしかない。銀行のカード、クレジットカード、年越しのための現金、今思い出しても冷や汗をかきます。本を買ってホクホク顔の隙だらけの顔を見られていたんでしょう。注意します。

いやあ、でも、本当に思うのは、あの店で本を買って本当に良かった。でなきゃ今頃財布は・・・、なんてね。

あの頃の僕らが
笑って軽蔑した恥ずかしい大人に
気づけば、なっていたよ


と歌ったのは中谷美紀でしたか。皆気をつけてね。年末です。
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by kantacantalavita | 2006-12-29 09:50 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 12月 29日

ブログのネタ、そんなものはゴロゴロ転がっているだろうに。(下)

前回、ちょっと脚色しすぎました。ハードボイルドを目指した結果です、ごめんなさい。

正確には友人は不在ではなかったんです。不在の前段階としての出かける準備をしていました。さらに言えば、出かけるために風呂に入っていて、僕が鳴らす呼び鈴にすぐには答えてくれず、鳴らした回数は700回に上り、701回目を鳴らそうとしたそのときに、覗き窓に僕の姿を認めたらしい彼はその時間の僕の訪問に驚いていると判る声で、「向かいのバールでコーヒーでも飲んで待っててくれ。」

ううむ。残酷なこと言います。事情を知らないとは言え、今この状態(鍵なし、運なし、金なし、服なし)にある僕に、あろうことか、商業施設で待て、と言うのです。まあ、しかたがないですね、選択肢はそう多くはないのです。コーヒー屋には入りたくないので外で彼が来るのを待ちます。彼がいてくれたことにとりあえず感謝し、700回鳴らすことによって入浴を邪魔してしまったことを心内に謝罪します。まあ許してくれ、俺も結構つらいんだ。悪気が全くありません。

湯でも開かぬ両の目を携えた彼とコーヒーを立ち飲みながら、これまでの経緯を説明します。説明しようとしますが、うまく言葉が紡げません。明らかに混乱しています。彼の方も寝ぼけた頭と相まって全く僕の言ってることがわかっていない様子。ただし、尋常ではない僕の格好が尋常でない事態を物語っているらしく(当然です)、なんとか力になってくれる雰囲気は伝わります。ただし、数分後には出かけるということ、帰るのは夜遅くになってからだ、ということが宣告されます。

力になる?まあいい。とりあえず座らせてくれ。ネットでもう一人の友人に、現在窮地にあることを伝えます、万が一の時はよろしく頼むと一言添えて。





















あのできごとから、すでに一週間が過ぎ、出来事しての「生(なま)」、イタリア語で言うところのattualità(英語はアクチュアリティでしたっけ?)を失ってしまいました。書こうとするも、どうにもテンションが上がりません。

もういいや、かいつまんじゃいます。

ああでもないこうでもないと策を練り、再び入室不可能な我が家に戻ります、さむい、こういう日に限って気温は一向に上がりません、それでも幸運にも3つのうちの最初の門は誰かが開けっ放しにしていました、いいぞ、2個目に入るにも鍵が要るので、他の住人のインターフォンを手当たり次第鳴らし、事情を説明し開けてくれるよう頼みます、完全に疑われてますが、気にしてはいられません、3分の2クリア、しかしあれやこれやと練りに練ったはずの策は結局のところひとつも機能せず、とっておきの裏技は通用して初めて裏の技であるわけであって、裏技であることを期待され見事に裏切ったグッズたちだけが無意味に手の中に残ります、無情に過ぎ行く時間、幸か不幸か手元の本は中々興味深いです・・・、昼前、奇跡的に向かいに住む代理人(大家と僕らを仲介する人)が帰ってきました、すみません、おかしな話かとは思いますが僕んちの合い鍵持ってませんよね?どうしたっていうの?へえ、鍵を閉じ込めちゃったの、合鍵は持ってないけど弟に連絡は取ってみたげるわ、弟?そう、お宅の大家は私の弟なの、へえ、じゃあ、早くしてよ、あれあれ、弟って言ったのに何で父親にかけてるんですか、あ、そうか、父親もこの近くに住んでるとか住んでないとかは聞いたことがあるようなないような・・・、父親とのクリスマスの挨拶はクリスマスにしてよ、ところでさあお父さん、弟の家の合鍵は持ってないの?うん、うん、ああそうか、わかった、なら弟に電話してみる、そうなる可能性は十分にあったのだから最初からそうしてくれ、ああ、アウグスト?あんたのね、うん、あんたのアパートに住んでる子がね、鍵を部屋に閉じ込めちゃったのよ、うん、そうなのよ、うん、うん、あ、来れる?え?来れるの?あらそう、うんわかった、うん、はいはい、うん、じゃあね、チャオ、何がわかったんだ、なに?15分で来てくれる?本当か?ええ?信じられない、大目に見て30分くらいか、30分なんか手元になぜかしら面白い本がある今、あってないようなものだ、え?解決?いや、ぬか喜びは痛すぎる、部屋に入って喜べ・・・、これまでに見たことのない住人が階段を行き来する、へえこんな人たちが住んでるんだぁ、たまには鍵の一つや二つ閉じ込めてみるもんだなあ、お、今日に限って建物の清掃業者まで来る、そのつど自らの苦境を歪んだ笑顔を浮かべつつ説明します、無言はまずい、怪しすぎる、自分ちの鍵は開けれませんが、愛想の良さで最低限彼らの中にある警戒という心の鍵を開かねばなりません、あらそうなの、大変ねぇ、じゃあうちでお茶でも一杯・・・、なんて誰も言ってくれません、まあいい、俺には本がある、お、息を切らして青年がやってくる、あなたがアウグスト?そうだよ、大変だったね、うん大変だった、ところで会うのはこれが初めてだね、そうだね、すごく申し訳ないとは思うよ、初顔合わせがこんな形でだなんて、いいってことよ気の毒だったね、え?寄ってかないの?ふうん、まあいい本当にありがとう、あ、それから伝えたかったのは俺らはあなたの家に住んでるけど、すごく満足してるってことさ。それだけは伝えたかったんだ、うん、本当にありがとう。解決。

メールで友人に無事入城を果たしたことを伝える。おいおい、連絡係に指名した友人はどうやら全く心配していない、あまつさえ、美術館に行こうなどと誘いをかけてくる。判ってるのかい俺の境遇を、でもいいよ、思いの外早く解決しちゃった今、特にすることないし・・・。

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mixiの日記が日記以外で埋まってしまったなあと思っていたら絶好のネタを手にし、ところが出し惜しみをしていたらネタの賞味期限が切れるという事態だったわけです。勉強になりました。何か不真面目なブログだなあ。
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by kantacantalavita | 2006-12-29 07:30 | 親愛なる日記 | Comments(2)
2006年 12月 29日

2006/12/29 金曜日

ボローニャのシネマテーク『リュミエール』の2006年12月29日(金)上映プログラムです。

Cineteca di Bologna "Lumière"のホームページはコチラからどうぞ。
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詳細はコチラから。
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by kantacantalavita | 2006-12-29 06:17 | Cineteca Bologna | Comments(0)
2006年 12月 29日

ブログのネタ、そんなものはゴロゴロ転がっているだろうに。(中)

窮地脱出の方法論として正しいかどうかは別として、僕がそのとき取った行動は、まず事態を把握すること、次いで「最悪の事態」を想定し、それに対処する方法を考えること、最後にその「最悪」からプラスの方向へと思考をシフトしてゆく、というものだった。

落ち着け。一体今、俺はどういう状態にあるんだ?暖かい我が家から締め出しを食っている、どうやらそれは明らかだ。全てが移ろいやすく、何事にも確証の持てないこの時代の、唯一動かしがたい事実、手元にある鍵で家に入れない。主なき部屋は当然呼び鈴に答えるはずもない。同居人たちはどうした?一人はすでにクリスマス年末年始帰省し、もう一人も同様、非常に近い未来(一両日中だ)に帰省する。昨夜は年末のあいさつ回りで帰宅していない。帰省しない俺にはここにしか居場所はない。いつ帰るとも知れんその同居人を当てにするな。他の鍵はどこにある?大家だ、電話するか?携帯電話を部屋に置き去りにした今、その番号を知りえる方法は限られている。向かいに住む代理人だ。不在。結局はまだボローニャのどこかにはいるはずの同居人に電話をするか?番号は携帯内にしかないことは数秒前に確認したろう。ではその実家に電話して取り次いでもらうか?一銭も持っていない。ちょっと待て、体が冷えてきたぞ。そりゃそうだ、素足にサンダル、短パン、Tシャツにフリース、呪われた坊主頭という格好である。稀にみる暖冬とは言え一応冬であることにかわりはない、下手をすれば文字通り「命取り」になりかねないその姿は、混乱する頭を幸か不幸かクールダウンし、勢い余って思考を鈍らせつつある。

いずれにせよ、ここでじっとしている訳には行かない。

まずはこの場を離れよう。このままでは何も始まらない。友人宅に向かうか?朝10時前に起きてる友人などいない。じゃあ公園でヨガでもして時間を潰すか?この期に及んで潰す時間など持ち合わせていない。スーパーで体温の上昇を図るか?むなしいだけだ。やはり、困った時の友人、まだ寝てるだろうなどとは言っていられない困難に出くわしたのだ、理解してくれるだろう。幸い数日後からの留守番を俺に頼むという負い目を持った友人宅はそう遠くない。「助け合って生きていこう」などと交わしたあの日の約束。まさか助けられることになるとは。おいおい、ちょっと待て。助け合い?奴が俺に鍵を前もって渡すなんてことをしなければこんなことにはならなかったはずじゃあ・・・。否、そういうことを言うのは問題を解決して、ジョーク含みの思い出話をするときに言え、今は遠吠えにしか聞えん。

屋外から部屋に到達するまでに3つの鍵を要する我が家から一度離れるということは、次にこの場に来る時には何らかの解決策を携えて、ということになる。「とりあえず」的な感覚で軽はずみに動いてよいのか?しかしそれ以外に方法はない。思いつきとは言えそれ以外に取るべき道は思い当たらんのが事実だ。

土俵は固まった。結構まずい状況にあるというのは確認できた。こういう時は希望的観測ではなく、よりシビアで、スマートな思考が求められる。まず一番やってはいけないことはなんだ?この格好で年を越すこと、同居人が帰ってくる年明けを指をくわえて待っているだけ、これはなんとしても避けねばならない。そもそもどこで指をくわえるんだ。次に、極力コトを大きくしないこと、巻き込むのは最低限助けになってくれると信頼できる人間だけで良い、役立たずに振り回され踊らされ一喜一憂するのはまずい、不毛であるばかりか無駄に体力ばかりを消費する結果になり兼ねん。どういう人間が必要だ?落ち着いて考える場を提供してくれる者、連絡係として使える者、うむ、目星はすぐつく。友人がそう多くないということは考えようによっては(今回のような場合には)時間の短縮に大いに役立つ。「使える」などと言い方は悪いが、それならば言わなければ良いのだ。冷徹。クールに徹しろ。

オーケー。悪くない。走って友人宅に向かうことはこの寒さをしのぐにも好都合だ。走りながら打開策を練る。俺の体力を以ってすれば疲れと寒さで思考がストップするより先に着くこともできる。悪くない。開封された小荷物を手に走り出す。本を片手にサンダルでジョギングする人間など見たこともないし、事実、珍奇の目が容赦なく突き刺さるが、"2006 in Italia"をこんな無様な姿のままで終えるよりかマシである。

往々にして、「こういう時に限って友人は不在」と相場は決まっているのだ。

(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-12-29 03:16 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 12月 29日

2006/12/28 木曜日

ボローニャのシネマテーク『リュミエール』の2006年12月28日(木)上映プログラムです。

Cineteca di Bologna "Lumière"のホームページはコチラからどうぞ。
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by kantacantalavita | 2006-12-29 03:05 | Cineteca Bologna | Comments(0)