KANTA CANTA LA VITA

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タグ:間借り人と大家の間に起こるよくある話(ボローニャ編) ( 11 ) タグの人気記事


2006年 04月 18日

起こるものは起こるし、生じるものは生じるし、悪い予感は必ず当たるし。(続・財産相続問題)

起こるべくして起こった『続・財産相続問題 ~荒野の決闘~ ('06)』という映画のタイトルみたいな三面記事事件(果たしてそれは事件ですらない瑣末な取るに足らん馬鹿げた話なのですが)の当事者になり、怒りで震える手を引越しの肉体的疲労で何とか押さえ込もうと無駄な努力を重ねている『KANTA CANTA LA VITA』です。

復活祭休みも明け、やっぱり大家はすぐにやってきました。こういうときは何かと運の悪い私ですが、割れ物(ビンに入った食材やわずかの食器)を運ぶとき一回だけバスを使うことにしたその引越しの帰りにバスの中で彼女に遭ってしまいました。こういうものです、la mia vita(我が人生)。私を見つけたときも彼女は笑っていませんでしたので、何かあるだろうなあと思っていたら、あらかた物が持ち出された私の部屋を見て、

「ローズマリーも持って行ったの!!!?(未だかつて見たことのない剣幕)」

このあとの無意味な会話はここには書きません。書く労力を払うのさえ不毛に思われるようなことの繰り返しでした。耳を疑うようなことの見本市(ボローニャは見本市で有名な街です。そんなこと今はどうでもいいです。)でした。

不運にもその場に居合わせたアメリカ人の女の子に大家は、私に対してあれほど彼女の悪口を言っていたにもかかわらず掌を返したように「なんていい子なの。」なんて言っているのには、開いた口が彼女の大きすぎる彼女の腹でも塞がらないほどでした。味方を作ることには余念がありません。かわいそうに、アメリカ人の女の子は、逃げるように普段はしない散歩なんかに出てしまいました、この散歩日和とは言いがたい天気の空の下。

今週は山場です。2年間という留学生活の中で何度かあるはずの山場の何個目かであることが、尋常でない震え方をしている手から感じられます。

一応繰り返しますが、フィクションです。フィクションであってください。

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Now playing:
"いらいら", by はっぴいえんど, アルバム『はっぴいえんど』より

くるしい、くるしいんだ
息をすることもできない
多すぎる、多すぎる
いらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいらいら・・・・

(本当の歌詞ではこんなに「いらいら」は多くありません。)

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・・・こういうときはNUTELLAですかね。あのヘヴィな表面的な優しさが今は欲しい。

震える手、肉体的苦痛、過剰な糖分。映画でも作ろうか知らん。では。
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by kantacantalavita | 2006-04-18 19:46 | 親愛なる日記 | Comments(2)
2006年 04月 16日

財産相続問題。

春だからですかね、例の大家のおばさんの振る舞いに神経症的な上下動があり、引越しの最中という日々にあってかなり不安な『KANTA CANTA LA VITA』です。

正直、気持ち悪くさえあります。

先日はノックもせずにこっそり部屋に入ってきました。僕が静かに音楽もかけずにコーヒーを飲んでいたので、まさかいるとは思わなかったのでしょう。慌てて「あら、いたの。」などと言う始末。ノックくらいするよう言うと、一度部屋から出てノックして入ってくる始末。その時には例の「ギラギラ」した目(「大家から出された妥協案シリーズ」参照のこと)をしている始末。

正直、気持ち悪くさえあります。

前の住人が僕に託していった植物が窓辺で花を咲かせているのを見て、

「まあ見て、私の花が咲いたわ!!」

いえいえ、僕が世話して、僕が咲かせた花が、咲いているのです。ローズマリーも順調に増えてますが、増やしたのは僕です。引越しのときは持って行くと言うと、「なんでも自分のものにしたがるのね。」とか言う始末。そりゃそうです。このまま置いていけば、ローズマリーは料理の香り付けとしか考えていないようなアメリカ人と、観葉植物は何処からか買ってきて枯れてゆくのを「観る」ものだと思っているかのようなイタリア人の手によって蝕まれてしまいます。火を見るより明らかな呪われた未来予想図を前に、それに抗わない訳にはいきません。

引越し完了を目前にして、多分こういうことが起こるだろうなあとは思っていましたが、案の定そうなると、ほとほと疲れます。無駄で無意味な疲弊です。ローズマリーの所有権問題なんかでごたごたしたくないんですけどねえ。

幸運にも復活祭期間中は、彼女、あまり姿を見せません。今のうちにさっさと済ませてしまいましょう、引越しも、これまでのイタリアでの生活のリセットも。

どうなることやら、ご期待あれ。

あ、例によってこの物語も文字にした時点でフィクションになってますので、実際の人物/団体とは一切関係ありません。こういうこともあるよ、というえらく具体的な喩え話です。
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by kantacantalavita | 2006-04-16 19:11 | 親愛なる日記 | Comments(3)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について エピローグ

初めて7回に渡る連載のようなものをやってみました。あまりに衝撃的な、そして笑劇的な日々だったので、その都度こちらの友人に話してはいたのですが、それでは足りないくらいに楽し過ぎたので、ちょっと長くなるけれども、僕の愚かなる妹ならもう少しうまく書けるのだろうけども、報告という形で書けたらよいかと思って連載にしてみたのです。

ピザを食っておきながらその場で彼女の提案を断る僕もずいぶん大人になったな、図太くなったなと思いますが、彼女には叶いません。僕がいずれにせよこの家は出ると言った瞬間から、寂しい素振りを見せることもなく、真意は知らん、少なくとも僕にはそんなものは見せることなく、次の住人のみならず、約束したはずの壁塗りバイトまで探し始めているのです。しかも、買収は出来る限り安く済ませようとするその根性。壁塗りバイトは別として、ピザなんか5ユーロ弱ですからね。友人の宿泊料なんか取るほうがおかしいんですよ。それを「あなたは特別。」と思わせるその手腕。300ユーロで家を見つけているのに、20ユーロ値下げして370ユーロで住ませようとするその感覚。壁塗りバイトだって、実際に業者に頼んだら100ユーロ以上するのかも知れません。ちょっとでも安くなればしめたものというその思考。すごく現実的で、実際的で、「たくましさたるものかくあるべし」を体現している人のように思えます。

でも、それも当然ですよね。なんせ彼女は、彼女らの世代は、僕が日本で観た所謂「ネオレアリズモ映画」の主人公たちだったたくましき少年少女の、50年経った姿なのですから。それを見てイタリアについて勉強しようなんぞと考えた外国人の僕とは較べるべくもない訳です。頭が下がります。

と、ここまで書いたところで、ひとつお断り。この物語はフィクション(事実を基にした物語)であり、実際の人物・団体とは一切関係ありません。すごくリアルな喩え話、ある間借人とその大家というよくある関係の縮図のひとつの例、それくらいに受け取ってください。そもそもここで書いたように饒舌には僕はイタリア語を話せません。へえ、イタリアってそういうこともあるんだあ、ってくらいが一番良いですねえ。これとは全く違うイタリアだってあるし、彼女とは違って本当に根の腐った悪徳大家だっているんです。

でもそう言ったところで実は、これからの2週間ちょっとがすごおおおく不安です。このまま何も起こらずに済むとも思えないのが実情です。
(4月2日)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:15 | 親愛なる日記 | Comments(8)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について⑦

4月22日までにこの家を出て行くと伝えてしまった後で、すっきりした気分と同時に当然寂しさも感じました。基本的に定住志向ですので、本当はあっちこっちと動き回りたくありません。ただ、安住の地を求めての移動は仕方ないと思います。そう考えているとは言えやはり、3ヶ月かけて居心地良くした部屋を離れるのは残念なことなのです。

そのとき彼女は何を考えていたかは知り得ませんが、しばらく黙った後で、「じゃあ、次の人を探さなくっちゃね。」と言ったところを見ると、どうやら僕をこれ以上引き留めるつもりはなさそうです。ただ気になるのは、そう言った後でほとんど独り言のように、

「じゃあ、壁塗りをしてくれる人も探さなくっちゃ。」

と言ったことです。

「出て行くとは言ったけど、手伝いはするよ。」

「いいえ、そういうわけにも行かないでしょ。まあ、また後で考えましょう。今日はもう休むわ。お休み、Canta。」

そういった彼女の顔には、あの「ギラ・ニヤ」とは違う穏やかな微笑みが浮かんでいました。




それにしても。

おいおい、もう一回言うけど、僕は22日に出て行くんだよ。10日に準備して次の日の午前中に作業するって約束だろう。お金稼がせてくれよ。臨時収入にかなり期待してるんだぜ、こっちは。てすると何か、壁塗りもやはり引き留め策だったってことかい?ねえ、そりゃないぜ。その金で買うものまで決めてしまってるんだよ。頼むよ、働かせてよ。働かせてくれるなら、この家に残ってやってもいいんだぜ。
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:14 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について⑥

穏やかに数日が過ぎ去り、その穏やかさの中で僕は新しい家を決めました。ただ、僕の方からそのことを言う時ではないということが何となく感じられ、大家には、まだ探している最中であることにして実はすでに決めてしまっていることはもう少し黙っていることにしました。

穏やかさの中にも何か知らんの煮え切らなさを彼女は感じたのか、実際には僕は煮え切ってしまっているのですが、ある晩食事をしようと台所に向かう僕を捕まえて、ついに最終手段に出ました。

「なんて青白い顔しているの!!ちゃんと食べてるの?」

「ちゃんと」食べてるかどうかは怪しいところですが、少なくとも生きれるくらいには食べているつもりだったので、彼女のその言葉は多少僕を驚かせました。ただ、鏡を見ると、いつもと変わらぬ普段の僕の顔です。

「ちょっとこっちに来なさい。一緒に食事しましょう。ピザ買ってくるから。」

え?ピザ?

「いやいや、僕のことは気にしなくていいよ。いつもと変わらないから。」

しかし彼女は奢ると言って譲らず、20ユーロ札を握り締めて階下のピザ屋へ向かいました。イタリアに居ながら普段あまりありつくことの出来ないピザを食べれるのはうれしいのですが、明らかに変です。なぜ、奢ってくれるのか、なぜ彼女自ら買いに行くのか、なぜビールまで買うとか言っているのか。答えは自明です。引き留め策の再発動です。

すぐに戻ってきて「さあ、食べましょう。」と言ったときの彼女の笑顔は、今にして思えば、人を穏やかにするそれではなく、あの「ギラ・ニヤ」だったように思えるから不思議です。

悲しいかな、僕はそうした状況下で食べ物が喉を通らなくなるような神経の繊細さは持ち合わせず、さらには「何でビールって言ったのにコーラなんだよ。」と心の中で不平を言う始末。ぺろりと自分の挽肉ピザを平らげただけでなく、彼女が残した分まで食べてしまう始末。こういう人間は多かれ少なかれ罠にひっかかりやすい、これは一般論です。当然彼女は僕が最後の一切れまで飲み込んだのを見計らって、「ところで」と切り出しました。

「ところで、新しい家は見つかったの?なかなか大変でしょう。」

98%決めていたにもかかわらず、僕は「まだ物件を見定めている途中」と彼女に言いました。具体的な交渉段階に入ったとは言え、決定的に100%ではないという点では嘘はなかったと思います。それでも実際に何件か部屋を見に行っていることは彼女を驚かせたらしく、

「わたしはCantaに、この家に残ってほしいの。」

と、少し慌てた様子で彼女は付け足しました。むむ。重要な局面であることはこれまで以上に感じられます。そして実際にその場は、誤魔化したり先延ばしにしたりできるようなこれまでのものとは全く異なる、全てをはっきりさせる時だったのです。

「この数日で僕らの関係が前のように戻ったこと、あなたの僕に対する接し方にはとても満足しているよ。ピザもおいしかった。それでも、僕がこの家から出て行くことに変わりはないよ。」

「でも300ユーロで家を探すなんて大変でしょう。そんな家があるなら私が住みたいくらいだわ。」

「見つけるのは大変だけども、そういう部屋が存在するということはわかったんだ。それにほとんど決めかけている。まだ決まってないけど決まりつつあるんだ。」

「でもそういうところは狭いし古いし、こことはずいぶん違うでしょう。」

「家の中の騒ぎには慣れられないけど、狭さとか古さには慣れられる。」

「少しくらいなら家賃下げれるわよ。300ユーロは無理だけど。」

「300ユーロの家を見つけたんだ。」

「・・・。」

「・・・。」

「じゃあ、22日で出て行くのね。」

「22日で出て行く。」

これで決まりでした。すごくすっきりしました。関係を保ったまま、否、良好な関係をその良好なまま終える、何となくそれが出来そうな気がしました。彼女との出会いが運命なら彼女とのこういう別れも運命だったのです。(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:13 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について⑤

巧妙な三の手は、時を置かずして打たれました。

パートナーを無料で泊めてもいいという譲歩(多くの家で、当然のように旅人が無料で寝泊りしているのを彼女は知っているのか知らん)をしてきたその日の内に、非常にくすぐる引き留め策を持ち出したのです。正確には僕は、その時点ではそれが引き留め策であることさえ気づきませんでした。

「映画を観るお金に困ってない?」

困ってます。正しくは、映画を観るのを優先しているため食費に困っている、と言いたいのですが、いずれにしろ今の僕の生活にあっては、お金は在って困るものではありません。おいおい、どういうことだ、関係修復の証としての報奨金か?

「台所の壁を塗るのを手伝って欲しいの。もちろんお金は払うわ。」

なるほど、需要と供給というわけですか。利害関係の現われとは言え、一時の最悪な関係を考えればこういう提案は好くない傾向ではありません。業者に頼んだら100ユーロ以上請求されるので、どうせ払うならCantaに、という訳らしいのですが、その辺の思考回路の意味不明さはこの際問わないことにすれば、100ユーロとまでは言わないにしても臨時収入は非常に魅力的ですし、壁塗りなんてなかなか日本ではできる経験ではありません。奨学金団体への次の報告書のネタ作りにもなりそうですし、喜んで引き受けることにしました。復活祭(4月中旬)前に済ませてしまうことを約束すると、彼女はとても魅力的な笑顔を見せてくれました。ああ、あの頃、イタリアにおける最初の日々、この笑顔にどれだけ救われたことか。

「そうやって笑っているのを見るのが好きなんだよ。」

決して口が滑った訳ではなく本当にそう思っていたのですが、随分クサいことを言ってしまったと今になって思いまして、しかし彼女の「ギラ・ニヤ」ではないほうの笑顔にはある種、そう思わせてしまうところがある、そういう恐るべきイタリア婦人なのです。まあ、僕も随分「安い」男なんですけど。

「そうね、確かにここしばらく色々なことがあったからねえ。」

なにやら随分和んだ雰囲気です。少なくとも、無視し合うより居心地が悪かろうはずはありません。あるいは、ずっとこうなら今の家を出るなどとは考えもしなかったかもしれません。(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:12 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について④

“Vediamo come vanno le cose.(もう少し様子を見ようよ。)”

この言葉が先延ばしの言葉であることがイタリア人である彼女に解らない訳ないのです。二の手、そして三の手を先に打ってきたのはいずれも彼女の方でした。

「Canta、あなたのパートナー、近々イタリアに来るのよね。」

お金稼ぎに関することは彼女は忘れません。というのも、彼女は、この家の間借人が知人をこの家に泊める際は1泊につき14ユーロ要求するのを常としてきました。僕のパートナーがボローニャにやって来るのは5月の話です。どうやら彼女は僕がこの家に残ることを疑っていないようです。

「覚えてるかしら。MO(かつての住人)の友人が来たときのこと。2泊した彼からは28ユーロ払ってもらったのよね。でもCanta、あなたの恋人からはお金は要らないから。」

ふふうん。この期に及んでまだ下手に出るのですか。なにゆえそれほどまでに、僕にこの家に残って欲しいのか、すごおおおおく気になります。でも、それは当然と言えば当然です。物の配置換えを掃除と思っている(としか思えない)イタリア人の彼女と、何かにつけ物を広げたがる何かにつけ過剰なアメリカ人とイスラエル人のカップルが暮らすこの家に、最後の望みのようにわずかながらの秩序をもたらしているのは僕だからです。大袈裟なことではありません、使ったものは片付ける、それだけのことです。生来僕はそれほどきれい好きではありません。日本の家は、時にあまりの汚さにパートナーに愛想を尽かされたことも多々あったことを思えば、きれい好きでは全くありません。まあこの際、僕がきれい好きか否かはまた別の機会で考えるとして、問題なのは、彼女に出て行って欲しいと思わせるようなことは何一つ思い当たらないということです。あるいはあまりに多くの映画を観る日本人が嫌いとか、髪の毛より髭のほうが長い人間が生理的に許せないとか、そういう具体的な理由があるのならば、出て行くと言ったときに「うれしいわ。」などと言われても納得がいくのですが、それが出て行くことが出来て僕が満足するだけでなく、なぜ彼女が満足なのか、それが判らなかったのです。しかも今になって掌を返したかのように出て行くなという。ある種これはカルチャー・ショックです。全く理解できません。

たださらに驚いたのは、普段話し出すと長い彼女がこのときばかりはソソクサとその場を辞したことです。疑い深くさえなりつつある僕は、彼女のそうした行動さえも「私は寛大なのよ。」と言わんばかりに思えてしまうのですけれども。(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:10 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について③

「もう新しい家は決めちゃったの?」

哀れな老未亡人然とした様相を保ったまま、彼女は続けます。数秒前の衝撃(あるいは笑劇)から立ち直っていない僕は、ほとんど打ちのめされて口も利けません。

「何件か見た部屋はあるの?」

畳み掛けてきます。失言が失言を呼び惨事を招いた「『大家を侮辱』事件」以降彼女との少なくなった会話では、少なくなったからこそかも知れませんが、最大限の注意を払うよう努めてきた日々を思えば、今こそこの上ない注意力と判断力「タフ&クール」が求められているのを肌身に感じます。

「何件か見たけど、まだ決めてないよ。」

新しい家についてはほとんど決めかけていたにもかかわらず、あるいは本能的に、嘘をつきました。まだ決めていないならこのまま住み続けることについて考えてほしいと彼女は言うのです。

「家を探し始めて判ったんだけど、300ユーロで一人部屋を探すのは不可能ではなさそうなんだ、それも光熱費込みでね。インターネットも含めてだよ。」

彼女の目に少しずつ「ギラ」が戻ってきます。基本的には何かにつけ騒がずにはいられない人なのです。

(今、彼女は390ユーロで僕に部屋を貸していることを踏まえて)
「300ユーロは無理だけど、20ユーロくらいなら値引きしてもいいんだけど。」

笑わずにいられません。衝撃は完全に笑劇に取って代わられます。最も興味深いのは、なぜ僕に残ってほしいのかを言わないところです。いずれにせよこの家から出ることに変わりないことを考えればどうでもいいことではあるのですが、恐らくは眠れない夜に独りであれやこれやと考えたか、家族に何か知らんを言われたかだと想像してます。することもなく独りで考える時間と要らん入れ知恵をする家族にだけは恵まれている人間であることはこの4ヶ月で経験的に学びました。

「300ユーロで住める家があるなら、370ユーロでもこの家は僕にとっては高すぎるんだよ。」

「インターネットだってそのうち使えるようになるし、電話も使う彼ら(今の同居人)がそのお金を払うようにすればいいのよ。」

無茶苦茶です、在り得ません。自らの発言に無責任なところも彼女の特徴のひとつです。ただ、お互いの言い分の正当性は別として、彼女との議論に関する限り僕が完全に優位に立ったのは明らかです。こういう立場は利用しない手はありません。もちろんそれを悪用する意図は僕にはありませんし、ここで言う「利用」とは、これに乗じて穏便に彼女との関係におさらばするということです。僕は基本的に争いも口論も不和も嫌いですし、まして彼女には渡伊直後の生活を救ってもらったという忘れることの出来ない恩義があります。そんな彼女と喧嘩別れなどしたくはないのです。

「どうなるか、もうちょっと見てみようよ。 Vediamo come vanno le cose.」

救いがたくお金のなかった渡伊直後の日々を乗り切るための言葉を僕が口にしたことで、穏やかだったあの頃の二人の関係の思い出が彼女にも甦ったのでしょうか、何とかその場は解放されました。この言葉が、他ならぬ先延ばしの渡世術の表現であることを(それゆえに場合によっては非常に有効ではあるが)知ってか知らずか。(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:08 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について②

最悪の目覚めをしたその朝、コーヒーを飲んでいる間も彼女の上機嫌は続き、やたらと話しかけてきます。僕が彼女を侮辱したことやそれによって彼女が受けた心の傷、この家から去っていった人たちの(彼女だけが甘いと考えている、聞く限りでは苦い)甘い思い出やここボローニャで家を探すことの大変さ、そうしたことをほとんど途切れることなく喋りまくっています。そうした気持ちの良い朝にしてはヘヴィすぎる内容にもかかわらず、あの「ギラ・ニヤ」した微笑みは依然湛えたままです。

話の内容のあまりのくだらなさとそれを聞くことによって失われる時間の無意味さに僕がうんざりして部屋に逃げ帰ろうとしたのを見計らったかのようなタイミングで、

「Cantaと話したいことがあるの。」

それまでは若干狂った感のある未亡人の独り言と聞き流していましたが、カンヴァセイションの相手に指定されるとそうする訳にもいきません。あの「ギラ・ニヤ」は、まるで最初から存在さえしていなかったかのようにすでにそこにはありません。驚くべき態度の急変を目の当たりにしたその時から、何かあるだろうなあとは思っていて、その有力候補の最左翼が「彼女は何か僕に頼みごとがある」だったのですが、この時点ですでに当選確実、赤い模造花が僕の胸に咲き、間を置かずして見事当選発表、達磨の目に墨が入れられます。

「この家から出て行ってほしくないの。」

衝撃。つい数日前に僕が出て行くと言うのを聞いて、「すごおおおおおくうれしいわ。 Sono mooooooolto contenta.」と皮肉たっぷりに言ったのは本当に彼女だったのでしょうか。頼み事があるであろうことまでは想像していましたが、まさかこの期に及んでこの家に残れと言われることなど誰が予想できるでしょう。引き攣った笑いが僕の顔に浮かんだという意味においてはそれは衝撃であると同時に笑劇でもありました。(つづく)
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by kantacantalavita | 2006-04-03 19:07 | 親愛なる日記 | Comments(0)
2006年 03月 31日

大家から出された「妥協案」について①

僕が今の家を出て行くと言ったらあれほど満足そうだった大家のおばさんの、恐るべき態度の急変振りに驚きを隠せない『KANTA CANTA LA VITA』です。驚きを隠せないのと引越しを思い止まるのは全く次元が異なることが誰にとっても想像に難くない、あるいはほとんど既知の事実である、すなわち引っ越す意思に揺らぎはない、何一つ確かなものがない昨今においてこれに関してのみ絶対的に自信を持っております。

ある朝目を覚ますと、事態はすでに変化の兆しを見せていました。否、正確には事態の変化によって目が覚めたのです。それはまず、おばさんの歌声という形を帯びて顕れました。その歌声はあまりにも快活であったため、春眠暁を覚えないはずの僕もほとんど跳び起きたほどです。イタリア人なら朝っぱらからでも歌のひとつも歌うだろう、とお思いでしょうが、そして事実、彼女はそうしたタイプのイタリア人の内の一人なのですが、この数週間は少し事情が違います。間借り人である僕たちと大家である彼女の関係は日を追うごとに悪化し、それぞれがそれぞれの存在を無視して、あるいは無視しようとして暮らす毎日でした。気づかれないようにこっそり家に帰り、部屋に閉じこもる、お互いの存在を意識しながらも顔を合わさない限り挨拶もしない、そんな醜悪しくさえある毎日でした。ところがその日、のんびり寝ていたい土曜の朝にしては喧し過ぎるほどに彼女は歌っていたのです。歌うことによって自分の存在を主張し、その主張によって僕たち、否、僕を呼んでいるのです。目覚めと共にやってきた嫌な予感に、ハートは具体的に震え上がり、膀胱は象徴的に震え上がりました。抱えきれない不安を抱えてベッドから起き上がり、抑えがたい自然の欲求を抑えきれずトイレに向かいました。そして案の定、便器に辿り着く前に彼女に辿り着きました。ギラつく微笑み。微笑みがギラつくのは、微笑みだけではその喜びを表現できない時か、あるいはろくでもない悪巧みをしている時かであるとするならば、その日の彼女のそれはまぎれもなく後者です。

「この放蕩息子!! Sei un figlio prodigo!!」

唐突です。溢れんばかりであった尿意も忘れ、果たしてトイレに向かっているのか部屋に戻ろうとしているのかも判らなくなるほどに唐突です。言葉の意味も彼女の真意も彼女のそのニヤついた笑顔の理由もわからず、ただ「なぜ彼女は歌っているんだ?何を彼女は言っているんだ?彼女の歌声を聞き笑顔を見たのはいつが最後だ?そもそもなぜ彼女は笑顔なんだ?いったい彼女は数日前に『Cantaとはもう話をしたくない。』と言った彼女と同人物か?」と呆けたように自問を繰り返していました。あまりの混乱に辞書がうまく引けません。第一、朝まずしたことが呆気に取られることで、その次にしたことが辞書を引くことなんて一日は馬鹿げています。辞書でpridigoを見つけられない代わりに今やはちきれんばかりの膀胱の緊張感を取り戻し、逃げるように便所に駆け込みました。用を済ませ、昨夜一晩分の尿と一緒にその日いきなりの悪夢も流れてしまったことを祈りつつトイレを出ると、そこにはギラ・ニヤした笑いを浮かべた彼女が依然立っていたのです。(つづく)
(2006年3月28日)
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by kantacantalavita | 2006-03-31 19:19 | 親愛なる日記 | Comments(0)