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KANTA CANTA LA VITA

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2005年 07月 03日

好きなんです、映画・チネマ・活動写真・ムーヴィ・フィルム・モーションピクチャー

『映画とは何か』 全4巻、著:アンドレ・バザン、訳:小海永二、美術出版社
映画理論を学ぶ者にとっては教科書みたいな本です。

映画って何ですかね。

もともと僕は、バスケットボールが好きで、それは今も好きなんですけど、中学生の頃、へたくそなのに、「バスケットボールしながら高校生活が送れたらなあ」などという軽い気持ちで強豪校に進学することを決めてしまい、苦しい受験勉強の末に何とか希望校には入れたんですけど、まあ、甘いですよね、甘い、挫折してしまうわけなのですけれども、プレイすることが好きだったはずなのに、チームメイトのプレイに見とれてしまったり、応援しながら観戦してるほうが楽しくなってしまったり、部活というものに疑問を持ち始めたり、時を同じくしてお気に入りのハンチング帽を監督に「俺、その帽子嫌いなんだ、かぶってくるな。」と理不尽なことを言われたり、完全に脱線してしまして、男子校だったので周りに女の子もいないし、バスケットボールから放れたら親しい友人もいないし、まったくの空っぽになってしまい、行く末を見失ってしまいました。

前置きが長くなりましたが、そんなときに映画に出会いました。空っぽになった日々を埋める≪時間つぶしとしての映画≫です。あの頃は、恥ずかしながら今もですけど、お金がなかったのでビデオを借りて家のテレビで見ていました。DVDなどない頃です。LDは自宅で『トップガン Top gun(1986)』を観た記憶があるので、存在はしてたはずです。そんな時代です。アメリカ映画ばかり見ていました。というか、地方の郊外のパチンコ屋に併設されたレンタルビデオ屋に、古典や名作はそう多くないので必然的にそうなってしまったのですが、すぐに飽きてしまいました。ちょうどその頃だったと思うのですが、映画好きの母が、『自転車泥棒 Ladri di biciclette(1948)』と『道 La strada (1954)』を紹介してくれました。明瞭な終幕を持つアメリカ映画に慣れていた僕にとって、ああいう終わり方は感動や満足感ではなく、「えっ、終わり!?」というその一言につきました。けれども何かが、よくわからない何かが残りました。≪好奇心をくすぐるものとしての映画≫の発見でした。偶然にも両作品ともイタリア映画ですが、とにかく絶望的な映画、曖昧でよくわからない映画が気に入り、ヨーロッパにも映画があるということを知りました。あの頃は、恥ずかしながら程度の差こそあれ今もですけど、本当に作品の良さを感じ取って理解していたのかといわれれば、まったくそんなことはないと思います。ただ、知らないもの、理解の及ばないものに触れる喜びを感じるためだけに映画を観ていました。・・・といえば聞こえはいいですが、実際には、バスケットボールに挫折したあとでは、他人とはまったく違うことをしていたくて、さらにそれをみんなに知ってほしくて、そんな未熟さの表れだったと思います。観た映画と題名を学校の机に鉛筆で書き並べてました、恥ずかしい。

2つのエピソード
①最寄のレンタルビデオ屋(上記)でチャップリン作品集を借りたら、「これレンタルするの君が初めてだよ。」と言われました。開店からどれくらい経っていたのかは判りませんが、いずれにせよ、僕が育った町はそんなところです。そのビデオ屋は今はパチンコ屋ごとつぶれ、廃屋→更地→荒地、という運命をたどりました。在庫商品の何点かは、中古ビデオとして、母(上記)に買い取られました。
②中学生の頃好きだった女の子が、高校生になって、上記のレンタルビデオ屋で『天井桟敷の人々 Les enfants du paradis (1945)』をレンタルして行ったのを陳列棚の陰から僕は見ていました。中学生の頃からその子は大人っぽくて、まあ女の子はみんなそうでしたが、僕はなかなか話しかけることができなかったのですが、別々の高校に通う間にその子はさらに大人になっているんだなあと痛感し、そんなわけでその日も僕は声をかけることはできず、棚の後ろから覗き見ですからね、まったくの子供です。以来、『天井桟敷の人々』は僕にとって「大人への登竜門」であるのですが、3回観た今もまだ突破できておりません。確か『フリッカー/あるいは映画の魔』のなかでクレアがジョニーにオークション会場から盗むよう命じた作品もこれだったはずです。飛び上がってもなかなか届きません、天井桟敷には。

高校時代に最も衝撃を受けたのがイタリア映画だったからかどうかは今となっては忘れてしまいましたが、外国語大学のイタリア語科に進学しました。この大学はビデオライブラリーがあり、世界中の映画が観れるというのも選んだ理由だったと記憶しております。ただ、学部時代は、日々の生活に終われ、あまり多くの作品を見れてません。たまに見ても寝てしまうというのが非常に多いという情けない日々でした。ただ、映画好きの友人、先生にめぐり合えたことは、今の僕について考えるとき、とても重要なことでした。映画会を企画したり、映画制作に参加したり、映画が生活の中で大きな部分を占めるようになりました。≪生活の一部としての映画≫とでも申しましょうか、卒業論文のテーマも映画に関するものを選びました。イタリア映画との衝撃の出会いにけじめをつけようと、『自転車泥棒』の作品論のようなものをやったのですが、評価はBでけじめがつかず、大学院にまで進んでしまいました。「チェーザレ・ザヴァッティーニとそのネオレアリズモ」を研究テーマにしてますが、正直何もしていないに等しいです。 

映画についての最近の関心は、≪物質としての映画≫、フィルムにあります。具体的には映画の保存です。なぜここに行き着いたのかは、

1、古い映画が好き(新しいのも好きだけど) 
2、映画に限らず古いものが好きでそういうものを大事にしたい気持ちは昔からある 
3、授業で映画の起源について学んだ 
4、本を読んでいて、フィルムは滅びるものだと知った 
5、楽しく観賞した映画が、実は知人が発掘したものだった 
6、元来、お宝発掘的なものが好き
7、実際にフィルムに触れる機会が増え、その物質性に魅了された
8、「映画保存界のゴッドハンド」の講演に感動・興奮した
9、この分野で日本はまだまだ後進国である
10、映画(フィルム)の魅力を再確認した

などから、なんとなく、それでいてかなり激しく惹きつけられました。まだまだ勉強中ですが、ゆくゆくは、フィルムに関わって生きていきたいなあと思っております。そしていつの日か、僕にとって映画とは何なのかをみつけられれば幸いです。

by kantacantalavita | 2005-07-03 04:40 | 映画とは何か(cinemaについて)


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