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KANTA CANTA LA VITA

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2005年 07月 03日

イタリアに行きたいです。(更新 04/11/05)

今年の秋からイタリアへの留学を計画しておりまして、梅雨が明ければ秋なんてもうすぐのはずなのですが、手続きは遅々として進んでいないわけで、まあ僕もどちらかと言えばのんびりしている(あるいはしすぎている)ほうなので、そんなに気にせず何とかなるだろうと考えてはいるのですが、それでもやっぱりさすがに心配なわけで、これで神経質な傾向があればそれこそ日々の生活がままならないくらい困惑しているのでしょうけれども、これもひとえに、公的機関の担当者の非協力的な態度や当人たちも困惑するほど複雑で意味不明な事務処理のシステム、それらを含むイタリアの込み入ったお国柄、そういったものが原因ではあると思うのですが、それでもそれを補って余りある魅力を持つイタリアが多かれ少なかれ人々は好きなわけで、僕もそんな人たちの一人であるわけで、今は楽しい留学生活のための我慢の期間とわが身に言い聞かせてノラリクラリがんばってます。

ここではイタリアに行くまでの出発準備の日々と、行ってからの生活(行けたらの話なのですけどね)について詠いたいと思ってます。

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ちなみに今日(2005年11月4日更新)に至るまでの経過。

・2003年末、イタリアに行きたいと思う 
(日本でアルバイトに追われる生活をしていては修士論文を書けない、などという奴はイタリアでも書けないというのは一般論である。)

・何をしに行くのか
(修士論文を完成させる、というのは周知のとおり建前であり、映画修復の授業に参加して、映画をたくさん観たいだけである)

・お金がないので奨学金を申請 ロータリークラブの試験に何とか合格
(一部では裏工作があったとも。真偽は不明。第一希望はボローニャ大学。)

・ロータリークラブに過去の留学経験を問われ、イタリア以外のイタリア語圏へ留学先変更の可能性を示唆される
(スイス南部で一部イタリア語は話されている。事実、スイス=イタリア大学 Universita' della svizzera italianaなるものも存在するがそこではイタリア映画どころか映画の研究さえできない。バイオテクノロジーの研究でもしようか知らん。)

・言い訳の文章にこめた熱き想いが通じたらしく、ボローニャ大学Universita' degli studi di Bolognaを指定教育機関として許可される
(英文作成にてこずり、結局はパートナーに全部やってもらう。モツ鍋とひきかえに。)

・上記と前後して、ローマに映画修復を二年間専門的に学べるところがあるという情報を入手
Nuova universita' del cinema e della televisione、通称NUCT。現在、世界的にみても、修復の理論・実技を学べるところは数少ない。大興奮するも、結果的には、未開講。断念。)

・4月下旬から5月上旬、イタリア映画祭2005を有楽町で満喫。その間に、学部の入学申請が始まっていることに気づかずに過ごす。
(すぐに東京のイタリア文化会館に電話するも「もう遅いに決まってるでしょ」と一蹴される。もともと、学部に行く気はなかったが、いわゆる“滑り止め”をしておこうかと思っただけなのだ。しかし、これに関しても「できるわけないでしょ」の一言。恐るべき悪態である、あの女性係員。実はこの人、この世界ではすでに伝説となっている人である。)

・5月中旬、専門コースを希望している旨をボローニャ大学の先生にメールで伝える
(「できることがあれば何でも言ってくれ」といった内容のメールが、意外に早く帰ってきたので、つい勢いづいて、受け入れ許可証を書いてくれと申し出ると、とたんに態度が急変。事務局を通すように言われる。まあ、当然ではある。)

・6月中旬、留学手続きを始めてさえいないにもかかわらず、地元ロータリークラブに激励会を開いてもらう。
(5名の留学生中、学校が決まっていないのはオーストラリアへの留学を希望している女性と僕だけであった。豪州は2月くらいから手続きが始まるとのことでまだのんびりしているらしい。この方は最後の最後まで僕が9月からの留学を希望していることに気づかずにいた。)

・6月下旬、イタリア文化会館で入学手続きを開始する
(僕が訪館したとき、例の女性係員は奇跡的に上機嫌であった。10日ほど前に手続き方法の変更があったことを知らされ愕然とする。それまでは不要だった書類が急遽必要に。その顛末については親愛なる日記『イタリアからの返事』に詳しい。)

・ボローニャ大学の先生にメールをする。イタリア映画史と映画修復のクラスを受講希望している旨をそれぞれの担当教官に伝える。
(単科コース、日本でいう聴講生としての受講なのだが、ロータリーではこれを認めてはいない。既成事実を作って、あとはお願いするのみ。)

・7月上旬、ほぼ時を同じくして上記二氏から好意的な返信メールをいただく
(バカンスシーズンが始まっているにもかかわらずのこの対応に幾分感動をおぼえる。しかしこの後、受入確認書類を書いてほしい旨を伝えねばならない。先の経験もあるので、慎重に進めねばならない。今頃ボローニャでは、修復映画祭の真っ最中のはずである。)

・7月14日、アポスティーユと公印証明取得のため大阪府庁内外務省大阪分室訪問
(詳しい報告は親愛なる日記『大阪府庁』を参照のこと。)

・同、公文書のイタリア語訳依頼
(東京の文化会館に紹介されたところは関東のみでやや困惑するも、友人野村雅夫の母親にお願いすることに。彼女は文化会館の推薦には入っていないが、イタリア外務省領事部の認定は受けているらしい。)

・同、ボローニャ大学事務局に受け入れ確認証明がビザ申請に必要な旨をメールで伝える

・翌日、大学側は上記の書類を発行しない旨を伝えてくる
(完全に行き詰る。)

・7月20日、公文書のイタリア語翻訳について宣誓供述のためイタリア総領事館来訪
(同時進行的に済ませようと考えていた写真証明はにべもなく断られる。)

・7月21日、写真証明のためイタリア総領事館再訪
(詳しくは親愛なる日記『イタリア総領事館訪問』を参照のこと。)

・7月25日、写真証明を取得。先に申請したはずの翻訳証明はまだ来ない。
(今週末には書類を東京のイタリア文化会館に提出したいなあと考えている。)

・7月27日、イタリア文化会館に書類提出日の予約を入れる
(この時点で、領事館からの書類はまだ届いていない。担当者が「仕事で」愛知万博に行っていたとのうわさも。やむを得ず28日に直接取りに行くことにする。時間次第ではその足で東京へ。)

・同、健康診断と歯科医へ
(どちらも即日終了。健康診断書は、パスポートのコピー、ビザのコピーとともにロータリー本部へ出発2ヶ月前までに送らなければならない。が。)

・7月29日、東京イタリア文化会館に書類を提出
(数箇所、書き損じや漏れがあったものの、その場で担当者が修正してくれたので、出直す必要はなし。受け取ってもらえたことに最大級の感謝。あの担当者のことは今後一切悪く言わない決心をする。提出後、友人と祝杯。その場でまだまだやるべきことが山積みであることを確認し、もうひとふんばりする覚悟を決める。)

・8月3日、ボローニャ大学の留学生担当事務局に再度受け入れ確認の書類交付をお願いするメールを送る
(一度拒否されていることを考えると気が重い。木星にある羽毛のように重い。そうだ、それは羽毛だ、気にせず吹き飛ばせ。というわけで、羽毛を吹き飛ばす勢いでメールを送信する。送信クリックは軽い。)

・8月5日、何度かのメールのやり取りの末、担当の部署にメールが届いたらしい
(しかし、文化会館からの申し込み書類が届かないと受け入れ証明はできないらしい。当然といえば当然ではあるが、ただ、もうここまで来たらゴリ押すしかないのでこの担当者に添付で学長への手紙を送ってみる。ゴリ押しは、イタリアに生きるうえで大切な処世術らしい。領事館での野村くんのお母さんを見てて思った。)

・「どうしても」とお願いするも以後連絡が途絶える
(書類がボローニャ大学に届くのをしばし待つことに。)

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・書類がイタリアに着くのを待ってます。

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・まだ待ってます。

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・8月19日、あまりに不安だったので、文化会館に書類を発送したのか否かを問い合わせる。以下、そのやり取り。下線部は心の声。
(「そんなのまだ送ってるわけないでしょ。」「・・・・・・、でも送っていただかないと、受け入れ許可が出ないんですけど。」「そんなものでませんよ。」「へ!!?・・・・・・・・・・・・でもそれがないとビザ申請できないのですが。そういったのはあなたではないですか!!」「そんなの必要ないわよ。」「へ?」「外務省から通達がありました。」「へ?」「29日までにこちらから領事部へあなたの名前を送りますので、受け入れ確認はそれで出来ることになりました。」「へ?」「だからあなたは・・・、ええと名前は?」「柴田幹太です。」「大阪の方ね。だからあなたはそれ以降に大阪の領事館へ行けばいいのよ。」「へ?!・・・あ、はい。そうなの?わかりました。全然わかりません。」「はいはい。」「ありがとうございました。そういうことは早く言え。失礼します。あほか、おぬし。・・・・・まあいいや。その方が楽だ。」)

すごいことになってきました。これだけ待たされた受入確認の書類が要らない模様です。電話を切った後でも信じられず、同じくイタリア留学を目指す北川君に再度確認してもらうようメールする。

・8月24日、航空券と海外旅行保険のお金を入金する
(9月25日、関西国際空港よりキャセイパシフィック航空にて出発。の予定。保険はイタリアの保険会社Generaliを選ぶ。)

・同日、北川君からメール
(東京イタリア文化会館に電話したとのこと。伝説的留学担当者フルカワさんは不在で別の担当者が対応。曰く、やはり入学許可証的なものはビザ申請に必要、ただし、日本から送る書類が届かない限り入学許可は発行できないので、大学のレターヘッド、就学期間、担当者のサインが添えられた確認書類を取り寄せて提出する必要がある、とのこと。いやいや、それを入学許可証というのではないですか?なんなんでしょう、この矛盾した言い分。おそろしいことに、イタリア領事館、イタリア外務省、ボローニャ大学、東京イタリア文化会館、それぞれの要求、あるいは通達しているビザ申請書類が違ってます。誰に従ったら良いのでしょう。もうここに報告するのも腹が立つくらいむちゃくちゃです。)

・8月30日、地元ロータリークラブでスピーチ
(えらく緊張する。夜、イタリア留学で同じような悩みを抱える人々の掲示板をみつける。)

・9月2日、ビザ申請のためイタリア総領事館を訪れる
(書類不足のため、受け付け拒否に遭う。ロータリーが経済的な保証書をくれたのに、親の保障もいるというこの矛盾、HPにもビザ申請要綱にも記載されていない書類が提出のその場で要求されるこの欺瞞、質問したことに答えないこの不正、詳しく説明もせず不十分不案内な紙切れ一枚を渡すこの怠慢。ありとあらゆる悪徳が、あすこには潜んでいるようです。)

・同日、4年前に通った語学学校とホームステイ&スタディ仲介業者に連絡を取り通学証明が必要になった旨を伝える
(前者からは迅速な返答。ただし、例によって僕を女学生と思っているらしい。届く書類がえらく不安。)

・9月8日、相当数のメールのやり取りの後、大学側からの妥協案提示
(領事館が僕の書類をFAXしてくれたら、受入確認証を発行するとのこと。断念。イタリア文化会館曰く、9月30日までには書類がボローニャ大学に届くことになっている、その書類確認後に上記確認証が発行される、と思われる、とのこと。さらに曰く、イタリアの大学省は11月からの新学期開始を定めているために、書類の発送が9月末になるとの事、そう指示が来てるとの事、勝手に9月とか10月とかに授業を始める大学があるから全てがややこしくなるのだと逆ギレする始末。)

・実りのない日々
(目には見えないけれど、航空券のキャンセルという動きはある。)

・実りのない日々
(「出発日が決まらないのに出陣式をしている日々」と言い換えることも可能。)

・実りのない日々
(目には見えないけれど、海外旅行保険の一旦キャンセルという動きはある。)

・9月21日、短期派遣日給アルバイトの登録に行く
(ほとんどその場で、翌日の勤務を決める。)

・9月22日、免許証の更新と国際免許の取得
(使うかどうか判らないものを、万全に整えつつある。)

同日、前日登録した短期派遣日給アルバイトで、ダイエー千里中央で搬入作業。
(怪我をしたら元も子もない、ので細心の注意を払う、ようにする。)

・10月3日、北川君出発
(ついに僕だけが残った。)

・10月6日、イタリアの先生に受入許可証の発行を事務局に掛け合ってもらえないか頼む。
(ちなみにこれが初めてではない。何度か断られているが、あきらめたらそこで試合終了。)

・10月8日、上記のメールの返事が届く。
(曰く、
"Gentile Sig. Shibata,
provero' lunedi' stesso a contattare la segreteria. Spero sia possibile risolvere tutto al piu' presto.
Un cordiale saluto,
Francesco Pitassio"

最後の頼みの綱がピタッシオ先生です。)

・10月14日、ピッタッシオ先生からメール。
(事務局に掛け合ってはくれたものの、受入確認の発行・入手には至らず。)

・10月17日、再度イタリア総領事館に確認の電話。
(イタリアからは何も届いていないこと、仮に届いても学生自身が取り寄せた受入確認がなければビザ申請はできないことを再度言われる。窓口の人とのコミュニケーションは相変わらずままならない。日本人同士なのにこの始末、イタリア人に物事を頼む、例えば先生に事務局に足を運んでもらうとかそういうことの難しさを思い知る。)

・同日、22日に仮予約していた航空券もキャンセルする。
(担当者の児玉さん、本当にありがとう。あなたの優しさ・丁寧さが身に染みます。)

・10月31日、ビザを申請
(詳しくは2005年11月4日の日記を参照。)

・同日、11月19日18時25分関西空港発のキャセイパシフィックの飛行機便を予約する
(ビザ申請から発行までどれくらいの日数を要するのかわからない、聞いても曖昧な答えしか返ってこないため余裕を持っての選択。)

・同日、山形のロータリークラブに名刺を作ってもらうための手紙を書く
(出発までに出来上がるのかしらん。)

・11月2日、ビザ発行を伝える電話
(なんと3日でビザができた。2週間以上出発まであるが、予約はそのままにしておく。)

・11月4日、ビザを受領
(もらえると思っていた書類は手に入らず。詳しくは11月4日の日記を参照。)



文章にすると結構楽しんでやってるみたいですけど、実際には結構大変です。実家に帰って、東京にいて、また戻って書類をそろえて、再度提出のために上京。この苦痛を乗り切れる者だけに、イタリア留学の資格は与えられるのでしょうか。イタリアに行ったときのためのブログなので、万が一の場合は閉鎖することをここにお断りしておきます。

by kantacantalavita | 2005-07-03 23:52 | イタリアに行きます生きます


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