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KANTA CANTA LA VITA

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2006年 04月 03日

大家から出された「妥協案」について④

“Vediamo come vanno le cose.(もう少し様子を見ようよ。)”

この言葉が先延ばしの言葉であることがイタリア人である彼女に解らない訳ないのです。二の手、そして三の手を先に打ってきたのはいずれも彼女の方でした。

「Canta、あなたのパートナー、近々イタリアに来るのよね。」

お金稼ぎに関することは彼女は忘れません。というのも、彼女は、この家の間借人が知人をこの家に泊める際は1泊につき14ユーロ要求するのを常としてきました。僕のパートナーがボローニャにやって来るのは5月の話です。どうやら彼女は僕がこの家に残ることを疑っていないようです。

「覚えてるかしら。MO(かつての住人)の友人が来たときのこと。2泊した彼からは28ユーロ払ってもらったのよね。でもCanta、あなたの恋人からはお金は要らないから。」

ふふうん。この期に及んでまだ下手に出るのですか。なにゆえそれほどまでに、僕にこの家に残って欲しいのか、すごおおおおく気になります。でも、それは当然と言えば当然です。物の配置換えを掃除と思っている(としか思えない)イタリア人の彼女と、何かにつけ物を広げたがる何かにつけ過剰なアメリカ人とイスラエル人のカップルが暮らすこの家に、最後の望みのようにわずかながらの秩序をもたらしているのは僕だからです。大袈裟なことではありません、使ったものは片付ける、それだけのことです。生来僕はそれほどきれい好きではありません。日本の家は、時にあまりの汚さにパートナーに愛想を尽かされたことも多々あったことを思えば、きれい好きでは全くありません。まあこの際、僕がきれい好きか否かはまた別の機会で考えるとして、問題なのは、彼女に出て行って欲しいと思わせるようなことは何一つ思い当たらないということです。あるいはあまりに多くの映画を観る日本人が嫌いとか、髪の毛より髭のほうが長い人間が生理的に許せないとか、そういう具体的な理由があるのならば、出て行くと言ったときに「うれしいわ。」などと言われても納得がいくのですが、それが出て行くことが出来て僕が満足するだけでなく、なぜ彼女が満足なのか、それが判らなかったのです。しかも今になって掌を返したかのように出て行くなという。ある種これはカルチャー・ショックです。全く理解できません。

たださらに驚いたのは、普段話し出すと長い彼女がこのときばかりはソソクサとその場を辞したことです。疑い深くさえなりつつある僕は、彼女のそうした行動さえも「私は寛大なのよ。」と言わんばかりに思えてしまうのですけれども。(つづく)

by kantacantalavita | 2006-04-03 19:10 | 親愛なる日記


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