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KANTA CANTA LA VITA

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2006年 07月 14日

ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ、あるいはringhioとしてのGennaro Ivan Gattuso

特にタイトルに意味はないのですけど、イタリアの24年ぶり4回目の優勝で幕を閉じた、否、終幕後も何かと物議を醸している今回のワールドカップでの発見はガットゥーゾという男の存在でして、インターネットが我が家でできるようになってまずしたことは、彼についての情報集めで、そこでわかったのは日本でもずいぶん人気者になっているということで、やや出遅れた感はありますがここで告白しますと、彼への想いはほとんど恋に近いものがあります。毛むくじゃらなタフ・ガイに憧れる乙女の心持の『KANTA CANTA LA VITA』です。

ジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾ、あるいはringhioとしてのGennaro Ivan Gattuso_e0017332_040871.jpgイタリア語のringhio(リンギオ)とは、もはや多くの人々が知るように、犬が唸ることやその唸り声を指しまして、そう、あの「う~、う~、わんわん」というあれのことなのですが、彼のプレイスタイルがそれを連想させることからついたニック・ネームだそうですね。僕も幼かりし日々、我が家のラブラドール、今は亡きローラと若かりしチャールズとボール投げをして遊んだ記憶がありまして、確かに彼らの、つまり犬2頭と人間1人のボールを追いかける様は、土煙を上げるか芝生を蹴散らすかの違いや、あまりの激しさに自身の肉球を傷つけるか味方プレイヤーまで怪我させてしまうかの違いがあるとは言え、完全に似通っています。ガットゥーゾ自身も、周りが彼をそう表現するのを楽しんでいるかのように、累積2枚で決勝に出られなくなる恐れがあることを問われて「イエロー・カード?そんなもん食ってやる。Il cartellino? Me lo mangio!」と答えたり、優勝後はピッチに四つんばいになり芝生を食ったり、その奇言奇行で僕たちを喜ばせてくれました。ただ彼の場合は、その奇言奇行が単なるパフォーマンスに終わらない、それを上回るピッチ上でのプレイがあるからこそ、ここまで人気者になりもするし、少なくとも一人の男性ファンの乙女心を鷲掴みにするわけです。

テレビ中継の、また同時進行でかけっ放しにしてあったラジオ放送のアナウンサーが、「ガットゥーゾがなぜそこにいるんだ!?」とでも言いたそうに「ガットゥーゾがあちこちにいます!!C'è dappertutto Gattuso!!」と叫んでいたことを僕は忘れません。

優勝決定後、抱き合って喜ぶチーム・メイトをよそにしばらくテレビの画面から姿を消し、「きっと悲劇の退場を喰らったジダンに言葉をかけに走ったか、最後まで応援してくれたファンの中に紛れ込んでしまったに違いない。そう、彼はそういう厚く熱い男なんだ。」と一人の男性ファンを感動させるかと思えば、どっこい次に画面に現れたときはショート・パンツを脱ぎ去り下着(正確にはサポーター、であって欲しい)姿になっていて、「まさか放送禁止になっていたんじゃないか。」などと一人の日本人留学生を不安に陥れたガットゥーゾはもはや伝説です。

予選リーグ最終戦、勝利決定の瞬間、監督の元に走り、抱き合う準備をしていたその監督に強烈なのど輪をお見舞いし、それでも間違いなく監督を敬愛し、日本の少年漫画なら疑う余地もなく監督を「親父(おやじ)」と呼んでいるであろう彼は私たちの記憶から消え去ることはないでしょう。

複数のイタリア人選手がピッチ上で立て続けに痛がっているなあ、ずいぶん痛そうだなあと思ったらどちらの犯人も味方であるはずのガットゥーゾであったことは、いつまでも語り継がれるはずです。

ええと、自分で書きながら褒めているのか貶しているかわからなくなってきたので、彼の名誉のために言っておきますと、イタリア国外で修行を積んで凱旋帰国した際に選んだチーム、ミランは彼の父親フランコの大好きなチームとかで、そんな孝行息子な面も持ち合わせてますし、またそのミランが八百長問題関連でセリエB降格の危機にある今もミランでプレイを続けることを明言するという、まさに「忠犬」なのです。

(つづく)

by kantacantalavita | 2006-07-14 23:12 | 親愛なる日記


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