2006年 11月 06日
えー、毎度、どこまでも個人的な話、『KANTA CANTA LA VITA』です。 ここ数日ボローニャの一部地域において、映画について語り尽くされた今さらながらに、あるいは映画について語り散らされている今だからこそ、「映画批評とは何か」について熱っぽい議論を交わすことが一つのトレンドとして取り沙汰されています。映画について語るはずの批評について語る一種のメタ批評、さらには映画について語るはずの批評について如何に読むかについて語るメタメタ批評です。 ある生真面目な美術学生が、インターネット上であまりにも雑多に書き殴られている所謂「映画批評」に対して、映画の世界からは距離を置いて、飽く迄客観的な視点から一石を投じたことに端を発します。曰く、あれは批評などではなく単なる私的な感想だ、と。 詳しくは"Frammenti Bolognesi"内、『映画批評って・・・?』、『映画批評って・・・2』をご覧ください。 確かに今日、ひと度インターネットの検索ページで「映画批評」と打ち込めば、そこには「~の映画批評」やら「・・・が映画を斬る」やらと題されたもの、あるいは「毒舌」なり「辛口」なり何らかの形で何かを「超」えた「映画批評」が散乱していて、それぞれに何か知らんの個性化を図りながら、結果的にその数は世に公開されている映画の数を圧倒的に凌ぐに至ります。そして事実、それらの少なからぬ批評群は概ね「何も語っていないんじゃないか」という意味において、「批評でさえない」と言えるかも知れません。「女優の誰某が良かったから作品として60点」って、僕が冗談で言う(ジョークとしてでさえ面白くない)ようなことを、見えないしたり顔で書かれても読む側としては困ってしまうわけですし、まして、「どこそこの場面が面白くなかったから星3つ(最高5つ)」とか「今週のダメな作品はコレ!!」とか、何の前触れもなく「私はこういう映画、好きです」というのは、いくら言論の自由が保障されているとは言え、また作品を擁護するものであれ中傷するものであれ、その作品に対して公平ではないように思えるのです。 それで話の矛先は、「映画批評とは何か」という方向に向かいます。映画批評のあるべき姿とは思うに、作品に対する、物語やその背景、演出と演技、それらのための技術などを総じた評価であることです。他の言葉はいざ知らん、少なくとも「批評」とはそういうものだと捉えています。大それたことのように聞こえますが、映画批評とは事実、大それたことなのです。「これが俺の表現だ!!」と大それたことを言う表現者に対する大それた返答、それが批評です。向うが真摯に表すのならばこちらも真摯に答えなければなりませんし、大それたことをする以上、作品を堪能(せめても理解)するこちらの力が求められ、さらにはそのための揺るがない土台(それは映画を観る経験であり批評を読む経験であり映画を勉強する経験です)が要求されるのです。作品を肯定するか否定するか、批評自体が主観的か客観的かはこの段階では問いませんが、いずれにせよ批評という行いはひとつの作品に判断を下すことを目的としているわけですから、厳密な意味においての作品の絶対者である監督に対する、もう1人の絶対者、もう1人の神のなす業であるべきなのです。(「観客は神さまだ」というのは興行の成功不成功を示す比喩とは限らないのです。)安直で表面的な神の物言いとそれをインターネットという不特定多数の目に触れる場で公表することは、そのこと自体で作品を蔑ろにしているばかりでなく、自らの悪徳・冒涜を暴露しているように思え、あまつさえ「~批評」と言いつつ自らを批評し、「・・・を斬る」と言いながら自らを斬り、作品について「吐いた毒」が自らに吐きかけられる。映画に限らず何かを「批評する」ということは、先の友人が語ったようにそれほどまでに責任あることなのです。このことを念頭に置くこともなく、「総じた評価を下す」ための土台もないがために、表面的な事柄に拘泥して軽々しい評価、誤った断罪を下してしまう、その意味での私的感想文的「映画批評」が氾濫する今の状況が出来上がってしまったと言うこともできるのです。 ある種の絶対者である神々や聖人に得意分野があるように、映画批評にも得意分野やスタイルのようなものはあっても良いとは思いますし、それゆえに常に肯定的なもの(あるいはその逆)、さらには一時的に客観的なもの(あるいはその逆)になることだってありえます。その意味で映画について書くことが「大それた(責任のある)」ことが意識されているのであれば、私的であれ公的であれ、好きであれ嫌いであれ、理論的であれ実践的であれ、愛であれ憎悪であれ、感想文であれ評論であれ批評であれ、映画に関する全ての議論は書かれるべきであり、発表されるべきであり、その時初めてインターネットの公共性が有効になると思います。 と言うようなことをここで僕が吠えても、「映画批評」が自らで洗練したり、あるいは「映画批評批判」に淘汰されることもありません、所謂「私的感想文的映画批評」は少なくともインターネット上ではますます増殖することでしょうし、その安易さがインターネットという利便性と危険性を備えた諸刃の剣なのです。ここに至って「映画批評をどう読むか」が重要となります。それはすなわち、溢れ返る批評の中から読むに値するものを選び出すこと、選び出すためにできる限りの「批評」を読むこと。野放し垂れ流しになっているのですから、探すのにそれほどの労力は要りません。その上で映画を観る前であるならば飽く迄ニュートラルでいること。大それたものであることを求められる「批評」は、その実単なる戯言であることも認識しなければなりません。批評は二次的なものに過ぎず、飽く迄重要なのは、映画作品それ自体に触れることであって、批評を読むことではないです。前評判で期待しすぎたせいで、鑑賞自体が空振りに終わってしまう、そういった僕自身の経験からの僕自身のスタイルです。次いで、これから読む批評が既見の映画作品について書かれているのであるならば、その批評に対して評価、すなわち批評を批評をする目を持つことが必要となるのです。これは先の美術学生にして我が友人の言うとおりです。ところが僕がここで主張したいのは、このことが言い換えれば、つまり映画批評を批評するということは、自らがその映画作品を批評することと等価であると言うことなのです。何かに対する評価を読むためにはその何かに対する自身の評価を持たねばならず、それが故あってできない場合には、常に公平でいる、来るべきその時まで白にも黒にも染まらず透明でいること。「批評」やら「評価」やら「感想」やら言葉は様々ですが、つまりは映画とそこに含まれる映画作品について書かれたものを読むということは、その作品について自身で何か考えること、さらに一歩進めばその作品について自らで何かを語り、それを書くこと、これが映画批評を読むための姿勢、つまりは「映画批評批判」です。この考えに基づけば(基づかなくても)本来、まだ観ぬ作品について批評することは不可能なのですが、先に触れた「前評判に踊らされる」ことはこれとほぼ同義であり、フェアではない映画批評を書くこと以前に作品に対してアンフェアなわけです。健康じゃないと思いません?宣伝(他人の批評)に振り回されるというのは。 映画批評を批評するために映画批評をするという、ともすれば自家撞着的な発想ですが、映画作品に近づこうとするあまり副次的な批評を書くことも読むことも嫌っていた僕が、さらに映画に近づくために結果的に選んだスタイル、それが「映画批評批判としての映画批評」です。
by kantacantalavita
| 2006-11-06 23:00
| 映画とは何か(cinemaについて)
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イタリアのお宝発掘集団『大阪ドーナッツクラブ』。人呼んでODC。シネマテークについてのコラムを担当してました。 大阪ドーナッツクラブ公式ブログ(代表によるブログ) 『Kanta Canta La Vita』が所属する上記「大阪ドーナッツクラブ」の代表で、FM802DJポンデ雅夫のブログ。 かのうとおっさんの「ああ密談」 大阪ドーナッツクラブメンバー有北クルーラーのもうひとつの顔。 映画保存協会 日本の映画保存のある部分は、この協会が支えています。 アトリエ・マニューク 映画と映画保存とその周辺(例えばビールとか俳句とか)について書くならば僕はこうしたい、それがこのHPにあります。 赤海老ログ 本職は歌手なのに、僕にとっての彼ら二人はワインの先生です。Colli Bolognesiを共有(共憂)をしてます。 C'è profumo 日本人音楽家の多いボローニャにあって、飲み会でしか会ったことがない友人yukaちゃんのHP。ピアニスト。 ホームムービーの日 NEWS 今こそ8mm。景色を映しただけで映画になる国、イタリアに8mmカメラを持って行きます。 The Internet Movie Database 誰が呼んだかIMDb、えらく重宝します。フォーマット検索とかは最近かなり気に入ってます。 all cinema ONLINE 映画検索に重宝してます。日本語表記はあてにならない場合もあるので注意が必要です。 チネテカ・ボローニャ Cineteca Bologna。ボローニャのシネマテークです。当ブログのカテゴリー『Cineteca Bologna』はこのシネマテークの当日の上映プログラム(概ね日本語)です。 ボローニャの映画館情報(2torri.itより) チネテカ以外の映画館情報。ボローニャにはこんなにたくさん映画館があるんです。 ボローニャの図書館検索 ボローニャには相当数の図書館がありますので、映画という19世紀以降の芸術を研究する僕のような学生が探す本は大抵見つかるはずです。 イタリア国立映画博物館 Museo nazionale del cinema。トリノ。2006年8月に聖地巡礼的に訪れた際には、その建物(モーレ・アントネッリアーナ)の頂上でエレベーターが作動しなくなり、急遽ヘルメットをかぶって徒歩で地上に降りるという映画的に稀有な体験をしました。 チネテカ・イタリアーナ Cineteca italiana。ミラノのシネマテーク。「見せるための保存」を目指しているとのことで、近年新しい上映室が増設されたようです。その名に「イタリア」を冠していることからもわかるようにその歴史はボローニャのそれよりずっと古い。 チネテカ・デル・フリウリ Cineteca del Friuli。北イタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州ウーディネ県ジェモナにあるシネマテーク。このブログでも報告したポルデノーネ無声映画祭はこのシネマテークが中心になっています。イタリア国内に5つあるFIAF加盟団体の中では最もマイナーなイメージがあるが、実は違いそう。行ってみたい施設のひとつ。 チネテカ・ナツィオナーレ Cineteca nazionale。ローマにある映画実験センター。国立の映画学校で、そのシネマテークはローマのど真ん中トレヴィの泉近くにあるとか。ミラノ、ボローニャ、ローマ間では上映用のフィルムのやり取りが多いように感じてます。 東京国立近代美術館フィルムセンター 日本におけるシネマテークとは何か?考えてみます。常設展や特別展は、何時間でも過ごせます。 シネマテーク・フランセーズ Cinémathèque française。説明無用(?)、世界中のシネフィルの聖地シネマテーク・フランセーズ。2005年、多くの映画人が通ったシャイヨー宮からベルシーに移転し新しい建物になりました。写真を見た限りですが、ものっすごくきれいみたいです。住みたい。 ドイツ映画博物館 DEUTSCHES FILMMUSEUM。フランクフルトにある映画の博物館(そのまま)。ドイツ語も勉強しますか。ドイツと言えばムルナウ財団は、ボローニャのシネマテークの上映でもしばしばその名前を目にします。 オランダ映画博物館 FILMMUSEUM。アムステルダムにある映画博物館。上記ドイツ映画博物館と一緒に訪ねてみようかと計画中。学生でも6.50ユーロ、会員でも4.50ユーロとはちと高いか。(英語あり) Antonio Pignottiコレクション 2006年の「ホームムービーの日(in Italia)」で映写機などの展示をしていたコレクターの方です。いつの間にかリンクしてくれていたので、晴れて初めてイタリアのHPと相互リンクになりました。(イタリア語) Planet World 大阪梅田のシネマテーク。大阪にプラネットありと謳われた「生きた」伝説。 Planetary Film Archives 上記プラネットのフィルムアーカイブです。資料整理のお手伝いをしました。 internet bookshop ITALIA イタリアの本が買えます。バカンスシーズンやその前後を除けばかなり信頼度は高いです。送料も高いですけど。 日本の古本屋 現実世界での古本屋めぐりも好きですが、電脳世界のほうが欲しい本がみつかったりします。 comfm.com イタリアのラジオがネットで聞けます。生のイタリア語を欲してる方にはお薦めです。 RADIO MARGHERITA イタリアのポップミュージックを新旧問わずに流しまくる秀逸なHP。ホームの下のところにある「Ascolta Radio Margherita (マイクの絵)」をクリックすると、Windows Media Playerで聴くことができます。 NHKラジオイタリア語版 その日のニュース約5分と曜日ごとに決められたテーマ約10分をイタリア語で聞くことができます。他の言語もあり。イタリアのラジオに比べ、音声が安定しているように思えます。 Consorzio Vini Colli Bolognesi ワインは全く無知に等しいですが、なぜかしら「おらが村主義」は大切にしていたいのです。日本で一番「ボローニャの丘」について詳しい人になりたいです。「ボローニャの丘」ワイン協会のHP(伊語or英語)。 大相撲 がんばれ力士。 インターネットでモンドリアン こういうのも好きです。 氷温熟成 Bravo! KANTA このビールを評したずっと年下の女の子曰く、「苦味の奥に甘さがある」。ううむ。僕のことを言ってるのでしょうか。 Google日本 何かと便利。 Wikipedia Japan 何かと便利。 以前の記事
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