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2006年 11月 07日

映画批評とは何か(あるいは映画批評批判への私的返答)その2

生真面目な美術学生がその生真面目さゆえに放棄した映画批評を、「芸術を研究する」という点で彼と立場を同じくする不真面目な映画学生に丸投げしたことから始まりましたこの「映画批評批判」論争、これが前回ずいぶん抽象的であったことに対して、僕の「実際の映画批評」の様子はより具体的に記すことができます。

まず第一に、僕は絶対者ではない、それゆえに作品に対して(私的とは言え)絶対的な評価を下すことができない、そんな自信はさらさらない。第二に、「総じて評価する」ほどの土台がない、土台とは知識であり、経験であり、そこから養われる映画を理解する力、映画の文法の読解力であり、その未熟さが「評価」を下す裁定者としてはふさわしくないように思える。第三に、今僕はイタリアにいて見る映画のほとんどがイタリア語吹き替えあるいはイタリア語字幕な訳で、根本的に言語の未熟さが映画作品解釈の妨げになっている。第四に、そもそも翻訳の台詞、字幕なんてものもずいぶん怪しい。

で結果として、批評としてはしてはいけないと思う「小さなことへの執着」、つまり「総じた評価」とは真逆の「分析」の方向に向かっている、ということです。僕の書いた作品に対するコメントを見れば一目瞭然ですが、いちいち細かいことを論って興奮しております。もちろん少なからずその小さなことへのこだわりが作品の本質を射抜いてることを切に願ってはおりますが、当然のことながら的外れなことも言ってしまう。「分析」と言えば聞こえは良いですが、多くはその実、「ちょっと気になったことのメモ」なのです。作品に対して一番無礼なのは実は僕なのかも知れません。

当然そう指摘された時のための答えも用意してます。自信がない人は自信がないなりに言い訳を探すのです。

まず、「ちょっと気になったことのメモ」とは言ったものの、これだけの数の映画作品を観てきたわけですから、僕が気になることは少なからず特徴的なものである自負はあります。気になった特徴的なことと気にならなかった特徴的なこと(すなわち見逃し)なら、おそらく前者の方が多いでしょう。作品の中に重要でないものはないという前提の上で、その中でもさらに特徴的なものをずいぶんと拾えるようになった自信はあります。さらに、作品にとっては小さなことも、視野を広げて映画全体について考える時には不思議なことに大きな要素となりうるのです。繰り返しますが、その小さなことが作品の本質を突いているならば、それがさらに映画全体の一部をも担っているわけですから物言いはつきません。ただ物語に関係がないからとか、監督がやりたかっただけだろうからと、見過ごすことはできないはずなのです。例?例ですか?例えば『ロベレ将軍』のワイプ。画面の中をワイパー、あるいはカーテンのように縦横断して場面を切り替える技法。59年の作品であのワイプはすごく特徴的ですし、ワイプがよく用いられるのは概ねコミカルな場面であるはずなのにこの作品では違う。誰かが「ワイプ論」を書くときは間違いなく引用しなければならないはずです。ワイプについて論じるならその使用方法、形態、歴史的背景、物語との関連などを軸に「モンタージュ論」でも使えるかもしれない。「小さなことの中に全てがある」と言ったのはZ先生です。拡大解釈ですがあながち的外れともいえないような気がします。

つまりは僕がやっていることは、僕が前回言ったような形では映画について語っていないわけで、それは結局のところ、ぼくがやっているのは映画批評ではないと言うことです。

つい数年前までは僕も、「映画は作品が大事なんだ。」というようなことを言ってきました。ところが、自身の現在の研究では作品研究を大々的には取り上げないこと、またその一方で将来的な興味として「作品」からは離れつつある、さらには今イタリアでイタリア語がわからなくそれでも映画は楽しくて、これって一体なんだろうなあと考え始めている、この3つが、僕に若干の変化をもたらしたようです。相変わらず作品がまずあります、それは覆りようがありません、にもかかわらず視点が少しずれてきたというのが自身の印象です。作品の細かい部分に目を向けながら、その先にはもっと大きな作品とは違う映画を目指している。そんな気がします。ある女の子が好きでその子の左の耳がとても好きで、そんな左耳を持ってる彼女がさらに好きになる、なんてことはよくあります。そしてその一方で女の子ってやっぱり良いなあと考えることもないとは言い切れない、卑近な例で申し訳ないけれど似てなくもないです。

言っていることが自家撞着でやっていることが自己矛盾ならこれほど手に負えないことはありませんが、自分でもまだ手探りなのです。これじゃあ駄目だというところまで行ってから考えます。それまで当然映画作品への触れ方もこのままなのではないか知らん。

さてさて、今ボローニャの一部でで大流行の「映画批評批判」、この先には何が待っているのでしょう。

つづく(かしら)

by kantacantalavita | 2006-11-07 11:37 | 映画とは何か(cinemaについて)


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