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KANTA CANTA LA VITA

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2006年 12月 05日

映画学Filmologiaの授業

今晩の美味いもんは「ヒヨコマメとポルチーニ茸のスープ」でして、『KANTA CANTA LA VITA』です。いえいえ、そんなたいそうなもんではございやせん、え、なあに、ただね、缶詰のヒヨコマメをさっと洗って、粉末鶏がらスープと乾燥ポルチーニを数枚と乾燥ネギを少々入れたダシでさっと煮るんです。このタイプはおそらく煮込みすぎてもいけねえやとの判断から、十分温まったら弱火で数分煮ておしまい。たいそうどころか貧相なくらいですよ。ところがね、こいつがやたらと美味い。ヒヨコマメってやつぁ、実際見りゃわかるけどね、ありゃ完全にひよこだね。可愛らしすぎてね、食べたくなくなっちゃう。ところがこのスープがべらぼうに美味いってもんで、かわいいも何もあったもんじゃない。ひよこにしちゃあ堪ったもんじゃないだろうね。かわいいな、かわいそうだな、なんて思ってるうちに一匙、二匙とすすんで、気がついたら器は空っぽってもんだ。試してごらんよ、奥さん。おーい、奥さん!!薄味が肝心だよ!!あ、それからね、旦那に「透けたダシが取れるようになりましたっ・・・」ってさりげなく言うのがコツだよ。本当だよ。

閑話休題。先週今週と無声映画の上映の合間を縫うようにして行われた「映画学」の授業ですが、先週はアムステルダムのハーゲ・フィルムHage Film、今週はボローニャのインマージネ・リトロヴァータImmagine Ritrovataのラボの仕事をビデオで見ました。先週はビデオ・デッキが不調で前者を見終わった後でテープが飲み込まれ、伸びて出てきたテープを示して「これはひどい劣化と損傷だ」なんて冗談をよそにカノーザ先生は、今日は万全にDVDで素材を用意していらっしゃったので、これしめたとばかり、「貸して欲しいんですけど」と申し出ましたがあえなく断られ、今日の授業のメインテーマであった「複製duplicazione」をお願いすることもできず、「フィルムの修復とはすなわち複製を意味する」というその意味が、「複製」の難しさ、「修復」の難しさと相まってひどく僕を打ちのめしました。色んなこと夢見てたんですけどね。

まあいい。なにせここにきて、数年前に見学に訪れたイマジカ・ウェストやイマジカで目にしたもの、日本国内某フィルム・アーカイブで個人レッスン的に体験したことが授業内容とリンクするため、具体的な色彩を帯びて思い出されるからです。当時記した報告書や日記なんかをめくるとその感覚はより現実的になって、しかも説得力まで備えて甦り、けっしてけっして無駄ではなかったんだなあと、感動まで覚えます。

だからこそ今していること(映像、紙資料を手に入れるとか、手当たり次第映画を見るとか)が、今は全く廃品回収的に思われても後々活きてこないなんて誰が言えましょう。必ず活きるとまでは言わないまでも無駄なことなんてないですよ。

だからこそかの二つの映像はどうしても欲しかったんですけどね。明日また切り出してみます。しつこいこと、諦めないことも、しばしばこの国では要求されるのです。その後できれいさっぱり忘れる、あるいは圧縮して保存しておく。

最後に、今日の映像で面白かったのは、シュトローハイムの『愚かなる妻』に、アメリカ版とイタリア版というのがあるということです。同じタイトルの作品なのにフレーム内の端役の構成が違ったりショット数が違ったりするわけです。そこまで言及しておきながらほとんど「うっちゃり」的に「いつの日か監督の望んだ形で復元されるように願う」と放り出してしまっているビデオについての指摘をカノーザ先生はもちろん忘れず、この先に修復のもう一つの大事な側面、今やっているfilmの物質的な側面と二本柱をなす「テクスチュアル(日本語でなんて言うんですか)な側面」があり、それを扱うのが学部既卒者対象の「映画の文献学Filologia del cinema(この訳ももっと練る必要があると思うんですけど)」なのだと強調されました。去年も出席しましたが今年も参加を予定しています。僕みたいなイタリア語の出来ない学生は2年続けて受けた方が良いというのもありますが、同じタイトルの授業で全く同じことをやるということはほとんど不可能に近く、結局何らかの新しいものが見つかるんじゃないかという憶測が働いているのです。

by kantacantalavita | 2006-12-05 05:10 | 映画とは何か(cinemaについて)


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