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KANTA CANTA LA VITA

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2007年 12月 19日

﨟たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ、あるいは『Kanta Canta La Vita』方法論

読みたい本と読むべき本はたまる一方です、『Kanta Canta La Vita』です。大江健三郎の最新作は、映画と関係があるみたいですね。

以前、当ブログのかなり好意的な読者のひとりから、「大江的に読みにくい文章だね」と評されたことがあります。長ったらしくて、何が言いたいかわからない、と。果たしてそれが、ほめてるのかけなしているのかは別として、また大江健三郎の文章にある様々なものが僕のには致命的に欠けているという差はあるとしても、実はその批評がうれしくて、まともな文章が書けなくなるほどに習慣的に文章の脱臼を試み、どこか知らん、もや~とした雰囲気が出ればいいなあと思って書き始めたことも思い出したりしています。実際問題として、論文や報告書などを書く際に、わかりやすい文章を書く力が圧倒的に未熟なわが表現力に直面し、冷や汗をかくこともしばしばですが、せめてブログやコラムは好き勝手にしようと。大江健三郎の作法、さらには対象との接近の仕方が、ぼくのそれらとは大いに違っているとはいえ、「大江的」という批評は素直に喜んでいたのでした、さっきまでは。

しかし。

今日の新聞にも大江さんは寄稿しているのだけれども、これは比較の次元ではないですね。比べられることは、ある意味恥ずかしいことだぞ。今こうしてキーボードを叩く指も具体的に戦慄します。

たぶん、ばれているとは思いますが、僕はコラムを書くとき、こういうことを書きたいとか、これが俺の主張だから皆の者心して聞けとか、そんなことを考えてはいません。書くことのリストやら章立てやらを作ることさえ、ほとんどしません。そもそも強烈な主張をひけらかしたり、世の中のありとあらゆるものに怒りの声を上げたりするタイプではなく、何より明確な意思を持っていない場合が多いのです。それでも、何かを書くことは楽しい。書く材料を生活に見つけようとする努力、それ自体が楽しい。

キーを打つ指と脳みそを最短距離で結んで、言葉を思いつくままに並べていく、出来上がったものを読み直してひどすぎるところには手を加える、これが今のやり方です。それで結果的に、時空を超越するアンゲロプロスの長廻しみたいな文章になればいいなあと、アンゲロプロスが練りに練って映画を作っているであろうことを度外視して、夢でも見るように思っているわけです。論文執筆で行き詰まりを見せる最近になって、ブログへの投稿が増えているのは、そういうやり方を楽しんでいて、それでいくらか脳みそが柔らかくなる、そんな理由からなのです。

ああ、いろんなことを放り投げて本を読みたい、映画を見たい。

by kantacantalavita | 2007-12-19 07:07 | 親愛なる日記


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