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KANTA CANTA LA VITA

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カテゴリ:映画とは何か(cinemaについて)( 29 )


2006年 10月 05日

ヴィットリオ・デ・セータのフィルモグラフィ

未確認の部分はまだ多いですが、とりあえず作ってみました。追々、追加・編集する予定です。

イタリックがオリジナルタイトル、「」は日本未公開作品(原題をなんとなく訳してみました)、『』は日本公開時の邦題です(1本だけですけど!!)。

詳細はコチラ

by kantacantalavita | 2006-10-05 03:56 | 映画とは何か(cinemaについて)
2006年 09月 16日

ボローニャに宛てられた手紙

ボローニャ 
文化都市 研究の都
新しい刺激と古くからの興奮が息づく街

続きはコチラから

by kantacantalavita | 2006-09-16 02:04 | 映画とは何か(cinemaについて)
2006年 09月 01日

『ホームムービーの日 in Italia』 報告

(画像はクリックすると大きくなります)

『ホームムービーの日 in Italia』 報告_e0017332_1305739.jpgHome Movie Day 2006 in Italia
Giornata Internazionale del Film di Famiglia – IV edizione
San Gimignano (Siena), Sabato 12 agosto 2006

第4回 家庭映画国際記念日「ホームムービーの日」
於:トスカーナ州シエナ県サン・ジミニャーノ(イタリア)
日時:2006年8月12日(第2土曜日)
   10:00~19:00 持ち込みフィルムの受付とフィルムの状態確認(ドゥオーモ広場)
   21:30~ 上映(モンテスタッフォリ城砦 → 雨天のためレッジェーリ劇場に変更)

続きはコチラ

by kantacantalavita | 2006-09-01 03:04 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 10月 17日

劇場、映画館がストライキ

イタリアの劇場、映画館が14日、24時間ストライキを決行しました。補助金の大幅な減額を盛り込んだ来年度予算案に抗議するためとの事。詳しくは以下から。

asahi.com

yomiuri online

記事に含まれる関係者の人選とコメント内容が少し違いますので、どちらもご参照あれ。ベニーニの新作ってどんなんでしょうね。スカラ座総支配人のコメントが興味深いです。「経済資源としての映画」。確かにイタリアで映画に触れる機会が少なければ、あるいは僕はイタリアを選ばなかったであろうし、僕や僕に似た留学生の消費活動はなされないわけで、その意味では観光・経済に及ぼす影響は少なからずありそうです。僕なんかきっと、総支出に占める映画関連費が相当多いですよ、今も、留学してからも。

by kantacantalavita | 2005-10-17 15:53 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 09月 24日

INCREDIBILMENTE

信じられないことに(上記イタリア語)、50年以上に渡って日本のフィルム現像・修復に、民間に一番近い形で携わっていた(と僕は思っている)育映社が、ラボ部門を閉鎖すると発表しました。結局僕は見学に行かずじまいでしたが、「困ったときは育映社に行け。」と謳われた育映社がある意味においてはなくなってしまうのです。映像制作部門は今年中に所在地を改めて再開するとのことです。

密かに(一部の人には言ったことありますけど)、アルバイトでもいいからここで働けたらいいなあと考えたこともあっただけに、その衝撃と僕の未来の展望の加速度的な萎縮具合は計り知れません。

益々日本は生きにくくなってきます。

by kantacantalavita | 2005-09-24 03:49 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 09月 24日

カテゴリー『映画とは何か』とは何か

このカテゴリーは映画保存についてのことを書こうかと思っていたのですが、思いのほかイタリア行きが遅れてしまい、ややもすると映画保存の授業に参加するのも遅れてしまいそうな、あるいはそれはほとんど確定的な今日この頃でして、遊ばせておくのももったいないからということで何か面白いことはないかなあと周りを見渡してみたら、ありました、ちょっと面白いこと。先日シネ・ヌーヴォで起こったことと、その後日談です。

 成瀬巳喜男の『流れる』のクライマックス、山田五十鈴と杉村春子が差し向かいに三味線の練習をしているシーンでした。物語内容とは関係なく唐突に画面が暗くなり、たまたまその上映を鑑賞していた女性スタッフが出入り口に走りました。何かと古いフィルムを観る機会が多い僕は、時々こういうことは起こるのを知っていたのでなんとなく見当はつきました。おそらくフィルムが切れたのです。走って出て行ったスタッフがすぐ戻り、トラブルで5分ほど時間が必要である旨を、こちらが恐縮するくらいの丁寧な詫びと共に繰り返し言っていました。上映室が明るくなり、何人かの客が席を立ちました。そうこうするうちに、もぎりのスタッフや事務スタッフまで出てきての謝罪。フィルム自体は5分も経たずつながれたようで、席を立った客が戻るのをみてから映写は再開されました。再び三味線の練習、街並み、川の遠景、そしてエンドマーク。再開からものの数十秒での終幕でした。まさかフィルムの切れた場所がよりによって最後の盛り上がりのところであったなどと知らなかった僕はやや面食らいもしましたが、まあそれまでの部分で十分楽しんだし、途切れはしたもののエンドマークまで観ることができたので満足して席を立ちました。

 ん?でも待てよ。2年ほど前、同じシネ・ヌーヴォでベルイマンの『仮面/ペルソナ(1967年)』を観たとき、音声が乱れて映写が中断し、終映後、観客一人一人に無料鑑賞券が配られたことを思い出しました。しめしめ、これでもう1本ただで観れるぞ、などと皮算用してしまいました。しかし今回は、退場する客にスタッフが謝り続けるだけでチケットはなし。まあ、でも当然ですよね。そんなことで無料チケットをばら撒いていては、映画館経営はままなりません。やや悔しがりながらも、その日は『乱れる』、『流れる』という素敵な2本に出会えたことを心から喜びながら帰路につきました。
 
 ところが世の中には、僕みたいに素直に帰ることのできない人、僕みたいに謝罪を物品と勘違いした気持ちを心の内にしまっておくことができない人がいるようです。偶然見たシネ・ヌーヴォの掲示板に、今回のフィルム切れに関して文句を並びたててる人がいました。劇場がさらに良くなるようにとの気持ちを込めたアドバイスではなく、僕までが気分を悪くしてしまうような、なんですかね、あれ、ほとんど誹謗中傷です、単なる悪口です。あの場で一人のスタッフを攻撃するなんてもってのほかに思われるわけです。「七芸」のことを持ち出すなんてお門違いもはなはだしいと思われるわけです。『「成瀬巳喜男の藝術」は斬殺され』てなんかいないと思われるわけです。
 
 今回のこの一件から僕たちが学ぶのは、「フィルムは切れる」ということです。それはニュープリントであろうと新しい作品であろうと関係なく切れるものなのです。フィルムの質が向上し燃えにくい切れにくい材質にはなってますし、映写機の性能も向上していますが、それでもフィルム自体の厚さ1mmにも満たないという形状と、動く映像として映写するためには1秒間に24コマの速さで光源の前を通り過ぎなければならないという構造を考えると、切れるなというほうが間違っているような気にもなってきます。確かに僕も、今日の封切り映画館で映画が途中で止まるなどということは何度と経験したことはなく、ある意味そういう状況に不慣れでもありますし、フィルムのことを勉強している僕でもそうなのだから何も知らなければ映画が意思に反して止まることが信じられない人もいることはわかりますし、その上でお金を払ってまで中断する映画なんか観たくないという気持ちも理解できますし、DVDのほうが便利だなんて声があるのも十分予想がつきますが、それでも、1枚1枚は静止画の映像を連続して見せることにより目の錯覚を利用して動く映像を作り出すという数世紀前の驚くべき発見を大事にしていたいし、その永遠のトリックというか遊び心というか、何かを楽しむという心持を喜んでいたいし、なにより、そんな単純で複雑な構造を持つ映画(フィルム)を愛していたいのです。
 
 より良い映画館になってもらうために注意するとかお願いするとかならわかりますが、あれはないなと思ったのでここに書きましたが、最後にもう一言。該当の投稿のタイトルが「ニュープリント切れる」で、投稿者名が「興醒め」だったのですが、これに対しシネ・ヌーヴォ側の返答の始まりが、律儀に「興醒様」となっていたことがとても面白かったです。なかなかやります、シネ・ヌーヴォ。
 
 まあいずれにしろ、今回の件で一番切れていたのは、フィルムでもなく上映でもなく、あの場にいたひとりの映画ファンだったということです。

by kantacantalavita | 2005-09-24 03:33 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 07月 24日

ファイブコインズシネマ

山形に今月2日にオープンしました。なんと500円で映画が観れて、ポップコーンも付いてくる!!上映作品はメジャーではないと思われますが、それもまた良し。がんばろう、山形!!

関連記事
・CINEMA GUIDE
http://www.shikoku-np.co.jp/cinema/news/20050702_5.htm
・Broard Band Picturesプレスリリース
http://www.bbpictures.tv/0507/index2.html

山形はどんどん映画の街になっていきます。うれしいものです。今年はドキュメンタリー映画祭の年でもあります。イタリアに行ってるはずなので今回は参加できなさそうです。

山形国際ドキュメンタリー映画祭のホームページ

by kantacantalavita | 2005-07-24 00:47 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 07月 09日

映画保存。フィルムは文化財産だ!!

僕は映画保存協会という団体に所属しています。もともとは映画保存研究会(Sticky Film)という映画保存に関心を持つ者の勉強の場だったのですが、このたびNPO化を目指し名称を改め新しい組織になりました。タイトルのとおりフィルムを絵画や彫刻や建築などと同じ文化的財産と考え、その保存を主な目的としております。協会会員としての今の僕の主な活動は、毎年8月の第2土曜に世界各地で開催される「ホームムービーの日(HMD)」の京都会場の企画運営です。HMDは、家庭に眠るフィルムに文字通り光を当てようというイベントで、関西では去年の大阪会場に続き2回目の開催です。日本ではまだまだ知名度が低く、運営に当たる僕たちも経験が浅いので手探りの部分が多いイベントですが、デジタル真っ盛りのこの時代にフィルムの良さを発見し、守っていこうという意識が少しでも広がればいいなあと思います。

映画保存協会での活動と平行して、プラネット映画資料図書館での整理作業「プラネタリー・フィルム・アーカイヴ」というプロジェクトにも参加しております。約4000本のフィルムと新旧様々の映写機、古今東西圧倒的な数の映画関連資料に囲まれての活動ですが、僕はその空間にいるだけで興奮してしまい、しばしば作業に支障が出るほどです。貴重なフィルムを実際に映像として目にする機会もあり、この上ない経験しているのかなあと自覚しております。自分で8mmを撮る以外にはなかなかフィルムに触れる機会のなかった僕にとっては、ここでの経験こそが僕のこれからの人生を決定しそうな予感は大いに持っておりまして、イタリアへの出発までここで過ごすであろう時間を大切にしていきたいと思います。ちなみに、先日は小川紳介の『肘折物語』の一部を見ました。僕の生まれ故郷山形を舞台にしたドキュメンタリー作品で、聞きなれた方言に郷愁を誘われました。おそらくここ以外ではそう目にする機会はないのではないでしょうか。

プラネットで保存しているフィルムの多くは、上映施設PLANET+1で上映されます。フィルムを溜め込むのではなく、それを上映するという意味では映画保存の父(と僕は思っている)アンリ・ラングロワ的な場所です。PLANETは一部の映画愛好家の間ではほとんど伝説となっている(と僕は思っている)場所で、その上映プログラムを見ればそう表現されるのもうなずけると思います。まあ、そのロケーションも伝説の一部になっているのは否めないのですけれども。

    映画好き
    一度は行きたい
    プラネット
    冒険好きが
    惑星探検志すがごとく (幹詠書房刊、『心の現代川柳』より)

プラネット映画資料図書館とPLANET+1のHP

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Now playing:
"Gosto que me enrosco(巻きつくのが好き)", by Mario Reis, アルバム『Sambistas de Bossa』より

by kantacantalavita | 2005-07-09 02:38 | 映画とは何か(cinemaについて)
2005年 07月 03日

好きなんです、映画・チネマ・活動写真・ムーヴィ・フィルム・モーションピクチャー

『映画とは何か』 全4巻、著:アンドレ・バザン、訳:小海永二、美術出版社
映画理論を学ぶ者にとっては教科書みたいな本です。

映画って何ですかね。

もともと僕は、バスケットボールが好きで、それは今も好きなんですけど、中学生の頃、へたくそなのに、「バスケットボールしながら高校生活が送れたらなあ」などという軽い気持ちで強豪校に進学することを決めてしまい、苦しい受験勉強の末に何とか希望校には入れたんですけど、まあ、甘いですよね、甘い、挫折してしまうわけなのですけれども、プレイすることが好きだったはずなのに、チームメイトのプレイに見とれてしまったり、応援しながら観戦してるほうが楽しくなってしまったり、部活というものに疑問を持ち始めたり、時を同じくしてお気に入りのハンチング帽を監督に「俺、その帽子嫌いなんだ、かぶってくるな。」と理不尽なことを言われたり、完全に脱線してしまして、男子校だったので周りに女の子もいないし、バスケットボールから放れたら親しい友人もいないし、まったくの空っぽになってしまい、行く末を見失ってしまいました。

前置きが長くなりましたが、そんなときに映画に出会いました。空っぽになった日々を埋める≪時間つぶしとしての映画≫です。あの頃は、恥ずかしながら今もですけど、お金がなかったのでビデオを借りて家のテレビで見ていました。DVDなどない頃です。LDは自宅で『トップガン Top gun(1986)』を観た記憶があるので、存在はしてたはずです。そんな時代です。アメリカ映画ばかり見ていました。というか、地方の郊外のパチンコ屋に併設されたレンタルビデオ屋に、古典や名作はそう多くないので必然的にそうなってしまったのですが、すぐに飽きてしまいました。ちょうどその頃だったと思うのですが、映画好きの母が、『自転車泥棒 Ladri di biciclette(1948)』と『道 La strada (1954)』を紹介してくれました。明瞭な終幕を持つアメリカ映画に慣れていた僕にとって、ああいう終わり方は感動や満足感ではなく、「えっ、終わり!?」というその一言につきました。けれども何かが、よくわからない何かが残りました。≪好奇心をくすぐるものとしての映画≫の発見でした。偶然にも両作品ともイタリア映画ですが、とにかく絶望的な映画、曖昧でよくわからない映画が気に入り、ヨーロッパにも映画があるということを知りました。あの頃は、恥ずかしながら程度の差こそあれ今もですけど、本当に作品の良さを感じ取って理解していたのかといわれれば、まったくそんなことはないと思います。ただ、知らないもの、理解の及ばないものに触れる喜びを感じるためだけに映画を観ていました。・・・といえば聞こえはいいですが、実際には、バスケットボールに挫折したあとでは、他人とはまったく違うことをしていたくて、さらにそれをみんなに知ってほしくて、そんな未熟さの表れだったと思います。観た映画と題名を学校の机に鉛筆で書き並べてました、恥ずかしい。

2つのエピソード
①最寄のレンタルビデオ屋(上記)でチャップリン作品集を借りたら、「これレンタルするの君が初めてだよ。」と言われました。開店からどれくらい経っていたのかは判りませんが、いずれにせよ、僕が育った町はそんなところです。そのビデオ屋は今はパチンコ屋ごとつぶれ、廃屋→更地→荒地、という運命をたどりました。在庫商品の何点かは、中古ビデオとして、母(上記)に買い取られました。
②中学生の頃好きだった女の子が、高校生になって、上記のレンタルビデオ屋で『天井桟敷の人々 Les enfants du paradis (1945)』をレンタルして行ったのを陳列棚の陰から僕は見ていました。中学生の頃からその子は大人っぽくて、まあ女の子はみんなそうでしたが、僕はなかなか話しかけることができなかったのですが、別々の高校に通う間にその子はさらに大人になっているんだなあと痛感し、そんなわけでその日も僕は声をかけることはできず、棚の後ろから覗き見ですからね、まったくの子供です。以来、『天井桟敷の人々』は僕にとって「大人への登竜門」であるのですが、3回観た今もまだ突破できておりません。確か『フリッカー/あるいは映画の魔』のなかでクレアがジョニーにオークション会場から盗むよう命じた作品もこれだったはずです。飛び上がってもなかなか届きません、天井桟敷には。

高校時代に最も衝撃を受けたのがイタリア映画だったからかどうかは今となっては忘れてしまいましたが、外国語大学のイタリア語科に進学しました。この大学はビデオライブラリーがあり、世界中の映画が観れるというのも選んだ理由だったと記憶しております。ただ、学部時代は、日々の生活に終われ、あまり多くの作品を見れてません。たまに見ても寝てしまうというのが非常に多いという情けない日々でした。ただ、映画好きの友人、先生にめぐり合えたことは、今の僕について考えるとき、とても重要なことでした。映画会を企画したり、映画制作に参加したり、映画が生活の中で大きな部分を占めるようになりました。≪生活の一部としての映画≫とでも申しましょうか、卒業論文のテーマも映画に関するものを選びました。イタリア映画との衝撃の出会いにけじめをつけようと、『自転車泥棒』の作品論のようなものをやったのですが、評価はBでけじめがつかず、大学院にまで進んでしまいました。「チェーザレ・ザヴァッティーニとそのネオレアリズモ」を研究テーマにしてますが、正直何もしていないに等しいです。 

映画についての最近の関心は、≪物質としての映画≫、フィルムにあります。具体的には映画の保存です。なぜここに行き着いたのかは、

1、古い映画が好き(新しいのも好きだけど) 
2、映画に限らず古いものが好きでそういうものを大事にしたい気持ちは昔からある 
3、授業で映画の起源について学んだ 
4、本を読んでいて、フィルムは滅びるものだと知った 
5、楽しく観賞した映画が、実は知人が発掘したものだった 
6、元来、お宝発掘的なものが好き
7、実際にフィルムに触れる機会が増え、その物質性に魅了された
8、「映画保存界のゴッドハンド」の講演に感動・興奮した
9、この分野で日本はまだまだ後進国である
10、映画(フィルム)の魅力を再確認した

などから、なんとなく、それでいてかなり激しく惹きつけられました。まだまだ勉強中ですが、ゆくゆくは、フィルムに関わって生きていきたいなあと思っております。そしていつの日か、僕にとって映画とは何なのかをみつけられれば幸いです。

by kantacantalavita | 2005-07-03 04:40 | 映画とは何か(cinemaについて)